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赤城・加賀 90式艦上戦闘機 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 第二期である1933年頃から、航空機は、 木製骨組みから、金属骨組みになって いきましたが、機体は、複葉構造で、 外板は羽布張りでした。  エンジンは、次第に強化され、第一期に 比較し機体の性能は、格段に向上しました。 この時代に作られた機体の一つが、中島 飛行機が開発した90式艦上戦闘機でした。  この機体は、3式艦上戦闘機の後継機として 開発したもので、全て国産技術で作られた 戦闘機でした。  コンパクトにまとめられた運動性に優れた 戦闘機で、同時代のアメリカやイギリスの 艦上戦闘機と比較しても、性能や運動性に 遜色はありませんでした。  1932年に第一線部隊に配置され始め、 1936年に生産が完了するまでに約300機 製造されました。90式艦上戦闘機は、全金属製 骨組みと、羽布張り構造でした。  全幅9.58m、全長6.18m、重量1415kg、 最高速度293km、航続距離500km、 武装7.7mm機銃2丁を前方固定で装備し、 60kg爆弾も搭載することができました。  この後、90式艦上戦闘機の後継機として 開発され、日本海軍最後の複葉戦闘機が、 中島航空機の95式艦上戦闘機です。  機体構造は、90式と同様の、全金属製 骨組みと、羽布張り構造でしたが、 エンジンが強化され、性能が格段に 上がりました。  しかし、この機体が配置された直後の 1937年に、別会社で開発された傑作 艦上戦闘機の96式艦上戦闘機が 登場したため、活躍の期間は短く、 221機しか生産されませんでした。 引退後は、単座高等練習機として 活躍しています。  全幅10m、全長6.64m、重量1276kg、 最高速度352km、航続距離847km、 武装7.7mm機銃2丁を前方固定で 装備し、120kg爆弾も搭載することが できました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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赤城・加賀 3式艦上戦闘機 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 三菱航空機以外の航空機は、中島飛行機が 開発した3式艦上戦闘機があります。これは、 10式艦上戦闘機の後継機でした。  この機体は、イギリスの傑作戦闘機グロスター・ ゲームコック戦闘機を参考に、イギリス設計技師の 指導を受けた中島飛行機の設計者が、設計したもの でした。1927年に海軍が正式に採用しました。  機体の構造は、10式艦上戦闘機と同じく、 木製骨組みに羽布張り構造でしたが、木製 骨組み構造の機体はこれが最後でした。  エンジンは、イギリスから輸入した空冷式の ジュピター・エンジンを搭載しましたが、後に 国産の寿エンジンに切り換えています。  生産数は、100機で、鳳翔と加賀が、 上海事変の時に搭載した戦闘機は、この 機体であり、実戦に初めて参加した機体 とも言えます。  1934年頃まで、第一線用戦闘機や、 高等練習機として使われました。 全幅9.64m、全長6.49m、重量1050kg、 最高速度239km、航続距離370km、 武装7.7mm機銃2丁を前方固定で 装備し、60kg爆弾も搭載することが できました。  ここまでが、赤城と加賀が、多段式飛行甲板時代に 製造された航空機となります。ここまでは、他国の 技術者の手を借りながらの開発となっています。  しかし、加賀が、一段式飛行甲板に大改造される 1933年ごろから、外国人の指導を離れて、日本人 独自の設計で行われるようになりました。機体設計の 純国産化という時代であり、ここからが第二期となります。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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