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巡洋艦大淀 母の死 [巡洋艦大淀]

 家の中もだいぶ冷え込み、じっとしていると、 背筋が続々してきました。もっと暖かくしないと、 母が寒がるだろうと思って、薪を取りに行った時、 「しっかりして」という姉の叫ぶ声が聞こえました。  兄も母の枕元に駆けつけ、大声で母を 呼んでいました。しかし、母は答えてくれません でした。ほんの少し間をおいて、かすかに目を 開けた母は、二度ばかり小さく歯ぎしりをしましたが、 それっきり静かに目を閉じてしまいました。  母は、それっきり眼を明けることはなく、永遠の 眠りについたのでした。小淵氏は、炉端で炎を 見つめていました。涙がつたいましたが、鳴き声は 出しませんでした。  「男児は滅多な事で鳴き声など出すものでは ない。」と常々母からたしなめられていたから でした。同時に、母がそんだのは、自分が 海軍に志願したことで、病気になったのでは ないかと感じました。自分が親不孝だったから 苦しめたと思いました。  父がようやく帰ってきましたが、母の最期を 看取ることはできませんでした。翌朝、妹は、 止めてもらった家から泣きじゃくりながら帰って きました。死んだことを知らないはずが、虫の 知らせがあったようでした。  小淵氏は、母は息を引き取るまで、死ぬとは 思っていませんでした。きっと生きてくれると 祈り続けていましたが、虚しく打ち砕かれて しまいました。まだ53歳と若く、近所の人からは、 これから楽になると羨ましがられた矢先の死でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 恐ろしいほど静かな夜 [巡洋艦大淀]

 小淵氏の父親は、農業の合間に茅葺き屋根の 請負仕事をしており、頼まれるとどんな遠方にも 出掛けていき、帰りが遅くなりました。時として 泊まりになることもありました。  義姉が兄に言われて、近所の人に父を 迎えに行ってもらうように頼みましたが、 自転車ででかけたその人は、父のもとにも ついていないだろうと、思えました。  こんな時に父が不在なのは、なんとも心細い 限りでした。兄と姉も途方に暮れて、言葉も ありませんでした。医者を見送った後、 近所の叔父に頼んで、親族に電報を 打ってもらうように頼みに行きました。  病床の母は、顔数カ所を切開されたらしく、 眼鼻口以外包帯でおおわれていました。 苦しそうにしていましたが、熱が出てきた らしく、「寒い、寒い」と言って震えだし ました。そして、炬燵に入れてほしいと 頼まれました。  小淵氏らは、静かに移して足の方を 炬燵に入れてあげました。母の震えは おさまりましたが、呼吸は激しく、普通の 5倍も多い回数で呼吸していました。  その苦しそうな息づかいの中で、母は、 3ヶ月前に生まれた孫のことを心配して いました。おとなしく眠っていると 返事すると、母も眼を閉じました。  小淵氏は、母のそばを離れ、炉端で 父が帰ってくるのを待っていました。 その後、母は、静かに眠ったよう でした。  父はなかなか帰ってこず、いらだちが 出てきました。たまらず、義姉が迎えに行く といって出掛けていきました。焚き火の爆ぜる 音以外は何も聞こえない恐ろしいほど静かな 夜でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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