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巡洋艦大淀 残留組の任務 [巡洋艦大淀]

 9月中旬になり、砲台指揮官の山口大尉や、 芦野兵曹長も兵舎を去りました。芦野兵曹長は、 浜諸磯に住みつくつもりらしく、網元の家に 寄宿していました。  残留の小淵氏ら5人は、横須賀海兵団に 残っている警備隊本部と毎日連絡をとるように 命じられていました。同時に、佐島や黒崎鼻に ある砲台とも相互に連絡をとるようになって いました。  上記以外の任務はなく、小淵氏は、将棋を 指したり、馴染みの漁師の手ほどきで漁に 出たりしました。  ある日、小淵氏が当番になり、自転車で 走っていた時、目の前のバスに乗る下士官が 目に付きました。  その下士官は、小淵氏が海兵団に入隊した時、 お世話になった小野沢兵曹でした。小淵氏は、 自転車電バスを追いかけ、小野沢兵曹の住所を 教えてもらうように叫びました。  小野沢兵曹からは、「君の住所は知っているから、 あとで手紙を出すよ。」という切れ切れの言葉を 残して、バスは去っていきました。残念では ありましたが、生きていれば会えると思い 直しました。  小淵氏が、次の当番の時、諸磯に帰還したのが 午後4時頃になりました。兵舎につくと、平野兵曹を 除く残留組のメンバーと、近所の村民数人が、 心配そうに額を集めて、囁きあっていました。  聞くと、村民の一人の弥助じいさんが、「平野兵曹が、 アメリカさんに連れていかれてしまったんだ。」と、口を モゴモゴさせながら言いました。弥助じいさんは、昔、 無実の罪で警察に引っ張られ、散々殴られ、歯が みんな欠けており、言葉が明確でなくなっていました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 釈然としない思い [巡洋艦大淀]

 小淵氏は、芦野兵曹長を止めていた 小林上曹に釈然としないものを感じて いました。  国民兵が、見張員としてついていた時、 小林上曹は、見張員に「前を通る船を なぜ報告しないのか。」と怒鳴って いました。  小淵氏は、この時、見張所の下にある 発令所におり、声は聞こえていました。 注意された見張員は、「左前方に商船」と 大声で報告していましたが、小林上曹の、 「あんなのが商船というのか。おい。」と なじるような声がしました。  見張員は、「左前方に輸送船」と報告し直し ましたが、「バカモノ」という罵声と同時に 鉄拳がとぶ音がしました。そして、小淵氏を 呼び出しました。  小淵氏が見ると、漁船がポンポンと通り過ぎて いました。「ポンポン漁船の見分けもつかない ような新兵教育をするようでは」、という 言いがかりで、小淵氏まで殴られました。  このようなことがあったので、この 小林上曹が、軍法会議になるようなことを、 とめに入ったことに、小淵氏は釈然と しなかったということでした。  翌日、国民兵は故郷に向けて帰郷し、 横流しをしていた主計科の下士官は、 荷物もきれいになくなり、前夜の うちに行方をくらましました。 充分予期できることでした。  数日経ったある日、子供たちが立入禁止 地区に入り込み、2人死亡、3人が重症に なるという事故がありました。事故を 調査に来た保安隊士官に、叱責された 小淵氏は、「ポツダム士官め。」と 反感を覚えました。  終戦で昇進したとわかる服装であり、 高圧的な態度だったため、このような 感情を抱いたとしています。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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