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巡洋艦大淀 青年学校の行軍訓練 [巡洋艦大淀]

 学校を卒業すると物足りなくなり、中学 講義録に熱を入れてみましたが、あまり 続きませんでした。  初夏になると、農家が忙しくなるので、 この頃は、時々しかお呼びがかからない 青年学校の招集日が、待ち遠しくなりました。  ある日、青年学校の生徒が全員参加し、 草津温泉まで行軍が行われました。沢渡 温泉を過ぎ、幕末の高野長英が隠れていた 洞窟近くを通り、草原を分け入り、暮坂峠に でました。  ここは、若山牧水も峠越えをしたという ところで、新緑に映える山野の景色は 素晴らしいものでした。同じ村内とは とても思えない雄大な風景でした。  行程は40kmでしたが、日没前に 全員無事に指定された旅館に 着きました。  そこで一泊し、翌朝は帰路の行軍につき ましたが、コースを変えて花敷温泉を 通りました。  この辺りは、温泉が到るところで 湧き出しているので、冬でも子供たちが 温水浴するということでした。  山の中に分け入り、道のない山を登り、 休憩もせずに降り始めました。戦地でも このような山中の行軍があるとか、その 訓練のために道路を避けて進むのだ ということでした。これが、小淵氏は、 かえって楽しかったとしています。  木の葉のトンネルを抜け、ヤブの中に 分け入り、岩山をよじ登って、落葉の上を 滑り降りたりしながら進むのは、格好の 遊びでした。しかし、校庭についた時には、 さすがに疲れ、足が思うように動きません でした。  小淵氏は、海軍入団までの青年学校の 楽しさを、存分に味わっていました。 入団する日が近づくにつれ、故郷の 生活を十分に味わっておかなければ という思いでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 入団日決定 [巡洋艦大淀]

小淵氏が受け取った採用通知には、 9月1日に入団すべしとありました。 翌日一緒に志願した人達に聞くと、みんな 来たということでした。年配者は5月1日で、 年少者は9月1日だったようです。 待ち焦がれていた採用通知が来たには 来たものの、9月1日入団では、4ヶ月以上 待たされることになります。一緒に志願した のに、年齢により9月になり、大いに不満が ありました。 この頃は、村でも多くの人が軍隊に行く ようになり、千人針を出征兵士に送るのが 流行していました。 しかし、小淵氏には、千人針を作って くれるような人はおらず、千人針が、弾除けに なるとは信じられませんでした。 入団する日が決まり、種々知っておかなければ ならないことがありました。しかし、海軍出身は村に 2人しかおらず、今はどちらも不在でした。 小淵氏が知っていたのは、海軍では泳げないと 苦労するということくらいでした。海をあまり見た こともない山奥の農村で、海軍のことを 知っている人が少ないのは当然でした。 それに、小淵氏の村は、本州を縦から測っても 横から測っても中心になると言われており、海から 最も離れている海なし県の山中ということを 思い知らされました。 小淵氏は、小さい頃近所の川で泳いだことがあり、 泳ぎには自信がありましたが、海を見たことは ありませんでした。海軍出身の叔父が生きて いたらと思うことがしばしばあったとしています。 4月の終わり頃、東京に就職した人達から手紙が 届きました。そこには電車のドアが自動で閉まる ことや、東京の珍しい様子等が一杯書いてあり、 羨ましくなったとしています。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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