巡洋艦大淀 海軍特年兵 [巡洋艦大淀]
著書は、海軍特年兵について紹介しています。
著者の小淵氏は、海軍特年兵と呼ばれた人達で、
1942年9月1日付で、各鎮守府の海兵団に
入団しました。
これが第一期兵で、以後、第四期兵まで、合計
1万7千人が入団しています。入団時の年齢は、
正式には満14才8ヶ月以上、15才9ヶ月以下
となっていましたが、小淵氏の同期には、
14才5ヶ月で入団した人もいたようです。
海軍特年兵は、防衛庁の海軍沿革史にも
記載がない幻の兵隊として葬り去られた
存在でした。
当時は、海軍内でもあまり知られて
おらず、最近になって追記された
ということで、ようやく市民権を
与えられた格好になったとしています。
小淵氏は、驚くべきことで、かつ、
解しがたいことだとしています。
第一期は、3700余名と言われて
おり、半数以上が戦歿しています。
戦死者名簿を見ると、1943年末から
1944年初頭にすでに戦死者が出て
いました。
マーシャルやソロモン海域となっており、
転属の途中で戦士したと思われます。
1944年10月25日前後に多数の
戦死者を出しており、これは、全艦
ことごとく撃って出たレイテ沖海戦に、
多数の特年兵が参加していたことを
物語っています。
(追記)
特年兵は、以前、駆逐艦磯風を紹介した時の、
著者である井上氏が該当します。井上氏も第一期
ということですので、小淵氏と同期ということに
なります。
特年兵はジュネーブ条約に違反するので、
隠蔽され続けることになりました。井上氏は、
この隠蔽体質は、許されるものではないと
しています。
さらに、井上氏は、第一期の戦死率75%と
しており、いかに若い兵士を、危険な前線に
配置したかが分かる数字で、隠蔽体質と同様、
許されるものではないとしています。
紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争”
著者: 小淵 守男
巡洋艦大淀 諸元 [巡洋艦大淀]
今回から、巡洋艦大淀について、
“巡洋艦「大淀」16歳の海戦
少年水兵の太平洋戦争”
から、活躍を紹介します。
著者は、小淵守男(おぶち もりお)氏です。
最初に巡洋艦大淀の諸元をWikipediaから
抜粋してみます。
建造所 呉海軍工廠
運用者 大日本帝国海軍
艦種 二等巡洋艦
級名 大淀型
母港 横須賀
艦歴
計画 1939年(マル4計画)
起工 1941年2月14日
進水 1942年4月2日
竣工 1943年2月28日
最期 1945年7月28日横転擱座
除籍 1945年11月20日
その後 1948年浮揚、解体
要目
基準排水量 8,164英トン
公試排水量 計画 9,980トン
実際 10,416.556トン
満載排水量 計画 10,990トン
実際 11,433.373トン[7]
全長 192.00m
水線長 189.00m
垂線間長 180.00m
最大幅 16.60m
深さ 10.60m
吃水
計画 公試平均 5.95m
満載平均 6.36m
実際
公試平均 6.100m
満載平均 6.500m
ボイラー ロ号艦本式缶(空気余熱器付)6基
主機 艦本式タービン4基
推進 4軸
出力 計画 110,000shp
公試成績 110,430shp
速力 計画 35.0ノット
公試成績 35.199ノット
燃料 計画 重油 2,445トン
実際 重油 2,452.910トン
航続距離 計画 8,700カイリ / 18ノット
公試成績 10,315カイリ / 18.282ノット
乗員 計画乗員 782名
兵装
三年式15.5cm3連装砲2基
九八式10cm連装高角砲4基
25mm機銃 連装6基または3連装6基(竣工時)
同 3連装12基、単装11挺(1944年8月)
同 3連装12基、単装16挺または21挺(最終時)
爆雷6個(竣工時)
装甲
機関室舷側60mmCNC鋼、甲板30mmCNC鋼
弾薬庫舷側75mmCNC鋼、甲板50mmCNC鋼
舵取機室舷側40mmCNC鋼、甲板20mmCNC鋼
舵柄室舷側、甲板20mmCNC鋼
搭載艇 竣工時:11m内火艇2、12m内火ランチ2、9mカッター2
改装後:12m長官艇1、11m内火艇2、12m内火ランチ2、9mカッター2
搭載機 計画:一四試高速水偵(紫雲)6機
実際零式三座水偵2機
レーダー 21号電探1基
22号電探2基(1944年3月装備)
13号電探1基(1944年10月装備)
ソナー 零式水中聴音機1基
九三式三型探信儀1組
水中信号機
その他 竣工時:二式1号射出機10型1基
改装後:呉式二号射出機五型1基
紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争”
著者: 小淵 守男