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赤城・加賀 96式艦上攻撃機 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 不評だった艦上攻撃機の後継機として開発 されたのが、愛知航空機が開発した、96式 艦上攻撃機でした。この機体の主翼は、 川崎航空機が開発した傑作機94式水上 偵察機の主翼が使われました。  エンジンは、840馬力の中島空冷Ⅱ型 9気筒が装備されました。1936年に正式 採用して、200機生産し、89式や92式 艦上攻撃機と違い、優れた性能を発揮 しました。  日中戦争中期から実戦投入されたものの、 空母からの出撃は減り、陸上基地からの 出撃で、敵施設に対する精密水平爆撃に 多用されました。  この機体は、太平洋戦争でも、地味な 活躍をしています。ミッドウェー海戦で、 鳳翔に搭載され、対潜哨戒や索敵に 使われました。  1944年後半から、船団護衛のために、 大鷹、雲鷹に搭載され、対潜哨戒に 使われています。  全幅15m、全長10.15m、重量2000kg、 最高速度278km、航続距離1576km、 武装7.7mm機銃2丁を前方固定で、 同じものを後方旋回で1丁装備して います。800kg爆弾か魚雷を 搭載することができました。  日本海軍が、正式に採用した艦上爆撃機は、 愛知航空機が開発した94式艦上爆撃機でした。 この機体は、ドイツのハインケルHD―66 急降下爆撃機を参考に設計されています。  愛知航空機が開発した寿Ⅱ型空冷9気筒 エンジンが優れた性能を発揮しました。この 機体から、さらに性能向上を図った96式 艦上爆撃機に進化しました。  全幅11.37m、全長9.4m、重量1400kg、 最高速度280km、航続距離1517km、 武装7.7mm機銃2丁を前方固定で、 同じものを後方旋回で1丁装備しています。 300kg爆弾を搭載することができました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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赤城・加賀 89式艦上攻撃機 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 第二期の攻撃機は、不調な機体も多かったと 言えます。三菱航空機が開発した89式艦上 攻撃機も、その1機でした。この機体は、 三菱航空機が、イギリスのブラックバーン社に 設計を依頼した機体で、13式艦上攻撃機の 後継とするものでした。  しかし、当初からエンジン不調を抱え、 稼働率と性能が安定しませんでした。 そのため生産開始が遅れ、1932年から 開始され、1935年には、製造が終了して います。生産数は、204機でした。  日中戦争初期に、赤城に搭載され、 地上攻撃に出撃しているものの、エンジン トラブルにより、複数の未帰還機を出す という悲劇が生まれました。  全幅15.22m、全長10.27m、重量2260kg、 最高速度217km、航続距離1780km、 武装7.7mm機銃2丁を前方固定で、 同じものを後方旋回で1丁装備して います。800kg爆弾か魚雷を 搭載することができました。  この機体が不評だったため、海軍の航空技術 工廠が、開発したのが、92式艦上攻撃機でした。 この機体は、愛知航空機(この当時は、愛知時計)で 行われました。  この機体も、89式と同様にエンジン トラブルにより、稼働率が低下したり、作戦 行動中のトラブルによる未帰還が発生し、 不評であったため、130機の生産しか ありませんでした。  この機体は、日中戦争初期に、加賀に 搭載され、低空での数兵爆撃に使用 されました。  全幅13.51m、全長9.5m、重量1850kg、 最高速度219km、航続距離680km、 武装7.7mm機銃2丁を前方固定で、 同じものを後方旋回で1丁装備して います。800kg爆弾か魚雷を 搭載することができました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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