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赤城・加賀 零式艦上戦闘機 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 96式艦上戦闘機の後に開発された艦上 戦闘機が、同じ三菱航空機が開発した 零式艦上戦闘機、いわゆる「ゼロ戦」 です。  世界的にも有名な艦上戦闘機で、日中戦争 末期から、太平洋戦争の全期間にわたり、 日本の主力艦上戦闘機としての地位を 守っています。  1940年に正式採用され、初陣は中国 大陸戦線での長距離侵攻戦でした。日中 戦争当時は、空母から発艦したことはなく、 陸上基地からの出撃でした。  太平洋戦争では、空母の主力艦上戦闘機 として、または、基地戦闘機部隊の主力戦闘機 として、縦横の活躍をしました。  徹底した軽量化による高性能は、抜群の 操縦性能に反映されましたが、燃料タンクや、 パイロットの防弾が、犠牲となっています。 後に改良されましたが、重量の増加により、 操縦性が犠牲になりました。  初期型の21型は、全幅12mで、両翼端の 50cmが折りたたまれるようになっていました。 しかし、この後に現れた31型や52型は、 固定翼となっています。  1940年末から終戦まで、10425機 生産され、1機種としては、日本最多の 生産数です。赤城や加賀に積まれた 21型の性能は以下の通りです。  全幅12m、全長9.06m、重量1680kg、 最高速度534km、航続距離2200km、 増槽を付けることで、3350kmまで 航続距離を伸ばせます。  武装20mm機銃2丁、7.7mm機銃2丁を 装備しています。120kg爆弾を搭載することが できました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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赤城・加賀 96式艦上爆撃機 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 94式艦上爆撃機の後継機が、愛知航空機が 開発した96式艦上爆撃機です。94式艦上 爆撃機の出力向上型です。  1936年に正式採用され、1940年まで 生産が続けられた、複葉型艦上爆撃機でした。 428機も生産された傑作艦上爆撃機です。  日中戦争の全期間を通じて、空母艦上 爆撃機の主力として活躍し、太平洋戦争中は、 陸上基地での艦上爆撃機訓練用練習機として 運用されました。  全幅11.4m、全長9.3m、重量1516kg、 最高速度306km、航続距離1335km、 武装7.7mm機銃2丁を前方固定で、 同じものを後方旋回で1丁装備しています。 370kg爆弾を搭載することができました。  最後の第三期は、日中戦争から、ミッドウェー 海戦までで、この時期に登場した艦上機は、 全て全金属製で、性能は飛躍的に向上して いました。  全機が、日本独自の設計による機体で、 日中戦争の後期から太平洋戦争中期にかけて 第一線で活躍しました。まずは戦闘機から 紹介します。  96式艦上戦闘機は、三菱航空機が開発した 機体です。日本の戦闘機レベルを、一気に世界 最高水準に押し上げた記念すべき機体でした。 これまでの、複葉羽布張り構造の古典的艦上機が、 この機体から一気に近代化しました。  操縦性は、同じ時代のアメリカやイギリスの いずれの艦上戦闘機の追随を許さず、トップ レベルの性能を発揮しました。しかし、固定脚や、 開放式操縦席など、移行する過渡的な要素が 残っていました。  1941年まで生産が続けられ、982機が 生産され、日中戦争の中期から、太平洋戦争 緒戦まで第一線機として使われました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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