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巡洋艦大淀 海軍採用試験 [巡洋艦大淀]

 採用試験を受けに来た小淵氏は、受験生の 中ではかなり小さい方でした。国民学校では 優れた体格でしたので、格段の差がありました。  周りには、雲を着くような大男(と見えたと 小淵氏は述懐しています)が多く、立派な 体格の者ばかりが集まっていました。  その中に入ると、小淵氏は、自分の体が あまりにも貧弱に見えて、いささか心細くさえ 感じていました。  小淵氏は、試験会場に入る前から、胸が 高鳴っていました。はじめに学科試験があり、 国語・歴史・数学など、だいぶ難解なものが 出てきました。  この試験で落とされたものも多く、立派な 体格の若者が、すごすごと帰っていきました。 学科試験に合格した者は、身体検査や種々の 体力テストが行われ、最後が面接口頭試問 でした。  面接は最も重要な試験であると、海軍志願兵 受験講義録に書かれていました。その忠告の ように、名を呼ばれた小淵氏は、大声で 返事すると、試験官の名に立ちました。  前に腰掛けがありましたが、勧められるまでは 腰をおろしてはいけないという注意がありました。 椅子を勧められ、「失礼します。」と一礼後、腰を おろしました。  最初は、志願した同機を聞かれました。 小淵氏は、この質問を予想していなかった ようでした。叔父が海軍にいた事を 話しました。  講義録には、家族構成や、職業などを 聞かれるが、ありのまま明確な言葉で 話せばよい。  大事なのは、受験者の態度で、問われて いる時は、試験管の胸の辺に視線を置き、 答える時には、眼に視線を移しなさいと 書かれていました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 水兵を志願 [巡洋艦大淀]

 小淵氏が海軍に志願する時、兄から、 飛行兵しか志願できないのではないかと 言われました。  小渕氏の希望は、水兵でしたが、今の 年齢で志願できるのであれば、なんでも 良いと考えるようになっていました。  兄から、「寒がりだから機関兵がいいぞ。 缶を焚くのだから年中暖かなところに いられるぞ。」とからかってきました。  さらに、「つぶしの効く整備兵や機関兵なら、 兵隊から帰っても仕事の口があるからな。」と 冷やかしてきました。  小淵氏は、そんな先のことまで考える気に ならず、海軍への気持ちで一杯でした。  翌日の放課後、村役場に行き、兵事係に 応募用紙を差し出しました。係員は、小淵氏の 年齢を見て、「今年から、なんでも志願できますよ。」 と言ってきて、希望する科を書き込んでくれました。  第一志望は、希望通り水兵、第二希望は、 兄に言われた機関兵としました。第三希望は、 迷いましたが、飛行兵にしてもらいました。 水兵を志願できたので、体が急に軽くなった ように思えました。  尋ねる時は胸が早鐘のように高鳴って いましたが、それは、すぐに体中を駆け巡る 歓喜に変わっていました。意気揚々と役場を 出た小淵氏を、級友たちが出迎えていました。 彼らは、海軍に志願した小淵氏を羨望して いました。  中之条町で、海軍志願兵の採用試験が 行われたのは11月末のことでした。小渕氏の 村からも10数名の応募者があり、同級生も 1人志願していました。他にも、郡内の 顔なじみが7、8名試験を受けに来て いました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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