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赤城・加賀 両空母撃沈 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 赤城格納庫内は、爆弾や燃料などの 可燃物が散乱していました。ここに、 中央エレベータ付近に命中した爆弾が、 飛行甲板を貫通し、格納庫内で 爆発しました。  この爆発で、床に転がっていた爆弾が 誘爆し、ガソリンに引火しました。上段と 中段格納庫は、たちまち破壊され、 艦内は大火災となりました。  この爆発は、日本空母の密閉式格納庫 という構造の弱点を露呈することに なりました。  爆弾の誘爆による爆圧は逃げ場がなく、 格納庫の床や壁、さらに飛行甲板を破壊し、 艦内は収集がつかなくなりました。  機関室にも炎は侵入し、機関室やボイラー室 からの機関科将兵の脱出は不可能な状態に なっていました。  赤城には、機動部隊司令部が乗艦して いましたが、駆逐艦に一旦移乗して 避難することになりました。  赤城は、全艦が炎上する凄まじい姿となり、 最終的には、味方駆逐艦の魚雷で処分され ました。この時、赤城の艦長青木泰二郎艦長は、 乗組員の強引な説得で一旦駆逐艦に避難 しました。  一方、加賀も無事では済みませんでした。 加賀の被害状況は、情報が混乱して諸説 あるようです。おおよそ分かっていることは、 敵機の急降下攻撃は、加賀がまっ先に 受けたということです。  来襲した敵機は30機とされており、爆弾 10発が命中したようです。このことから、 赤城以上の被害になったと推定されます。  加賀は、大火災に包まれ、二度の大爆発の後 沈没し、岡田次作艦長以下800名を超える 乗員が戦士しました。  赤城と加賀は、1942年6月5日に、 同時に生涯を閉じました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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赤城・加賀 ミッドウェー海戦 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 赤城と加賀の最後の出撃となるミッドウェー 海戦は、1942年6月となります。この 海戦の発端は、4月6日の日本本土攻撃 でした。  この攻撃により、本土防衛に対する抜本的な 見直しが、迫られることになりました。その柱は、 本土東方の太平洋上に新たな防衛ラインを 設けることでした。  防衛ラインは、アリューシャン列島から、 太平洋中部のミッドウェー島にかけてで、 日本本土に接近するアメリカ軍勢力に 対する哨戒線を、構築することでした。  可及速やかに、この作戦は実行に 移されることになり、アリューシャン 列島の東端の要衝のダッチハーバーの 攻撃と、ミッドウェー島の占領から 作戦を実施することになりました。  この内、ミッドウェー島の占領作戦から 実施することになりました。この後の展開は、 何度か紹介している通りです。  概要は、ミッドウェー島への第一次攻撃で 戦果不十分だったため、敵機動部隊用に 待機中だった攻撃に兵装転換しています。  しかも、この後、機動部隊発見で、再度、 兵装転換するという愚策と、帰還した第一次 攻撃隊の収容が重なり、このスキを突いて、 敵の急降下爆撃隊が、赤城と加賀、蒼龍に 襲いかかっています。  赤城は、艦橋左舷に至近弾1発、中央 エレベータ付近に直撃弾1発、飛行甲板 左舷に1発命中しました。  この時、赤城の格納庫には、雷装作業中の 攻撃機18機、爆装中の爆撃機18機、弾薬、 燃料補給中の零戦3機が収容されていました。  そのため、格納庫の中は、交換作業中の 爆弾が床に転がり、燃料補給用のホースが 交錯していました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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