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巡洋艦大淀 B29の不思議な行動 [巡洋艦大淀]

 7月のある日、相模湾の海面スレスレに B29が飛翔しました。すると、アメリカ軍の 潜水艦が浮上しました。砲台から8kmも 離れていませんでした。  小淵氏は、伝令に兵舎にいる指揮官に 報告するように命じましたが、よく見張って いろという命令が来たのみでした。  浮上している潜水艦に、旧式の艦載機が 飛んできて爆弾を投下しましたが、とんぼ 返りしてきたB29に撃墜されました。  敵潜水艦が、潜航して見えなくなり、 水柱が上がったので、撃沈したのかと思い ましたが、潜水艦は再び浮上してきました。  その周りを、B29が垂直尾翼ほどの高さ ほどをしか海面から離れず、飛行して いました。  やがて、潜水艦は潜航しましたが、B29は 飛び続けていました。旋回しては目の前を 飛翔する巨大な機体の各所から、砲身が 突出していて、不気味に作動しているのが、 肉眼でも確認できました。  この後、水上艇と、不用意に近づいた漁船が、 B29の餌食になっています。この間、小淵氏の 砲台に砲撃命令は一切来ませんでした。この ことを不審に感じていました。  このB29と潜水艦は、昨夜撃墜されたB29の 搭乗員が救命ボートで漂流していたのを、敵の 潜水艦が来て救助していったため、起こった 一連の事件でした。  この光景を目撃した小淵氏は、兵曹長に、 砲撃命令が出なかった理由を聞いてみました。 すると、発砲して砲台の位置を知られると、 各個撃破されてしまうので、敵が上陸するまで、 発砲は禁じられているということでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 三浦市の浜諸磯 [巡洋艦大淀]

 著書は、戦後30年してから、小淵氏が、 三浦市の浜諸磯を歩いているところから 始まります。 (著書は、戦後、幼少期、海兵団で訓練と 続きます。大淀の活躍はしばらく後に なります。)  ここは、小淵氏が、横浜海軍砲術 学校から、この地にあった警備隊に 配属されたのが、1945年5月末 でした。  ここでは、砲台の築造や連絡壕などの 穴掘り作業に汗まみれの日が続きました。 ここに配備されていた警備隊員は、 30~40歳くらいの国民兵が 大部分でした。  これまで、艦隊勤務でしごかれてきた 小淵氏は、しまりがない警備隊に呆れ 果てていました。軍艦に乗って戦える 兵隊ではないと思ったとしています。  聞くと、海兵団教育も受けずに配属 された人達や、海軍に入ってまだ半年 にもならない者が多数をしめており、 娑婆っ気が抜けていないのは無理も なく、小淵氏が体験した軍隊とは 別世界なのは、当然でした。  場所も、旅館を接収したもので、民家に 取り囲まれているので、軍隊の峻厳さは、 期待するほうが無理でした。  国民兵の多くは既婚者で、小淵氏対して、 「内の倅より若いんですね」という者も 何人かいました。  小淵氏は、上官からは、「新兵には もっと気合を入れろ」と叱責されましたが、 この人達をしごく気にならなかったとして います。  小淵氏は、入団依頼ずいぶん殴られた ものの、兵として致し方ないと、思い込んで いました。しかし、自分が殴る立場になった ものの、小淵氏には彼らを殴る事は、できな かったとしています。  砲台が完成し、訓練も本格的に行われる ようになり、実弾の試射も行われ、徐々に 整備されていき、新兵も鍛えられて いきました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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