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巡洋艦大淀 純真無垢な魂 [巡洋艦大淀]

 特年兵は、入団時四等水兵でした。第一期兵の 小淵氏も、1945年5月1日付で、二等兵曹に昇進 しています。しかし、実施部隊にあっては、底辺の 地位から抜け出ることはなかったとしています。  戦闘の犠牲者は、下級兵が圧倒的に多いと 言えます。物理的に多数をしめていた ということもありますが、小淵氏は同期の 半数以上が戦死していることに 愕然としたとしています。  小淵氏は、大淀で幾度も戦闘に参加して いますが、傷つくことなく生還したので、 残りの同期も同様だと考えていました。 そのため、戦死者が多いことに心が 痛んだとしています。  生への執着が薄かったというより、生まれ 育った時代の教育の影響で、「己が身命は 皇国のもの」という思想が徹底し、進んで 戦場にはせ参じたために、ほかならない としています。  小淵氏は、純真無垢な魂を持って国家 存亡の難に魁て散った仲間のことを誰かが 後世に伝えねばならず、それは生きている 特年兵出身者に課せられた使命だと しています。  「太平洋戦争で戦死した者は、犬死でしか なかった・・・」という新聞の投書をみた時は、 小淵氏は、血潮が逆流するほどさわいだと しています。  幼い命を国難に捧げた仲間たちの死を、 犬死などと決めつける世潮を黙視することは できないとしています。  太平に馴れ、文化文明に呆けようとも、 戦火に散った者を切り捨てる軽薄な風潮を 黙視することはできないとしています。  特年兵は、一途ひたむきに若き生命を 祖国に捧げ、純真無垢のまま従容と水漬く 屍と散りました。  そこに功利打算のかけらもなく、身を 鴻毛のかけらに比すことに一点の疑念もなく、 祖国のために散っていったとしています。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 特年兵の犠牲 [巡洋艦大淀]

 特年兵が、どのような戦闘で散って いったかは、全貌を知るすべは記録が ないものの、各艦艇に、また各戦場の 広域にわたって配属されていたことは 明白でした。  小淵氏の次の第二期兵は、レイテ沖 海戦に参加した戦艦山城にかなり乗り 込んでいたということでした。16歳に 満たないみたない少年と言っていい 兵士が、命を散らせたということに なります。  玉砕したサイパンや硫黄島にもかなりの 数の特年兵が配属されていました。このことを、 小淵氏は、この地に配属され、奇蹟的に 生還した同期生から聞くことができました。  大和が沖縄特攻に出撃した時に、多数の 乗組員として特年兵が配属されていました。  兵学校出身の少尉候補生は、前途有望な 若者を死出の道連れにすべきでない」として 退艦させていますが、特年兵は退艦して いません。  少尉候補生より若い特年兵を対比して、 その不条理を思うことに対し、小淵氏は 行き過ぎた感情だろうかとしています。  戦争は、あくなき犠牲を要求するもの であり、兵とはそのための宿命的要員に 過ぎないということでした。  戦後の意識からすると不条理といえますが、 若者だから退艦などという着想が先行していたら、 特年兵制度は、生まれ得べくもないと言えます。  一死奉公の一念で出陣した特年兵がそのような 配慮を甘受するいわれはなかったとしています。 (追記)  犠牲者を見ると、特年兵らが、消耗品扱い されていたという感覚を受けます。少尉候補生に 対してこのような扱いをしていたのであれば、 特年兵も同様の扱いをしてしかるべきだったと いえます。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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