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赤城・加賀 13式艦上攻撃機と10式艦上偵察機 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 三菱航空機は、ハーバート・スミス技師の 設計による13式艦上攻撃機を製造おり、 実用性に優れ、故障も少ない傑作機として 評価が高い機体でした。  1923年から生産が開始され、442機も 生産されました。この機体は、500kg魚雷の 搭載が可能で、日本最初の実用雷撃機でした。  上海事変の際に、鳳翔と加賀の艦上 攻撃機として小型爆弾を搭載して 出撃していました。  全幅14.78m、全長10.13m、 重量1765kg、エンジンは、10式戦闘機と同様、 イスパノ・スイザ水冷発動機を、三菱航空機が、 ライセンス生産したものでした。 最高速度194km、航続距離750km、 武装7.7mm機銃一丁を前方固定で、 同じものを後方旋回で1丁装備して いました。搭載できる爆弾と魚雷は、 500kgでした。  三菱航空機は、ハーバート・スミス技師の 設計による10式艦上偵察機も製造しています。 この機体は、日本海軍最初の偵察機で、 形状は、10式戦闘機と酷似していました。  1921年に初飛行に成功し、日本海軍に 正式採用されました。優れた飛行性能や、 良好な稼働率を誇り、艦上だけでなく、 陸上海軍基地の偵察機としても活躍 しました。生産数は、159機です。  全幅12.04m、全長7.93m、 重量980kg、エンジンは、10式戦闘機と 同様、イスパノ・スイザ水冷発動機を、 三菱航空機が、ライセンス生産したもの でした。  最高速度203km、航続距離595km、 武装7.7mm機銃2丁を前方固定で、 同じものを後方旋回で1丁装備して いました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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赤城・加賀 10式艦上戦闘機 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 赤城と加賀が誕生し、ミッドウェー海戦で 戦没するまでの約15年間、この2隻に 搭載された航空機の変化は、日本海軍 航空隊の歴史と一致しました。  そして、その歴史は、大きく3つの時期に 分かれます。第一期は、多段式飛行甲板の 時代です。  この当時は、日本海軍艦上機は揺籃時期で、 これは、赤城や加賀が大改造されるまで 続きました。  この時代は、各航空会社が、ヨーロッパから 艦上機の設計者を招請し、力を借りて設計された 飛行機が制作され、その設計手法を、日本の 設計者が学ぶ時代でした。  三菱航空機が開発したのが、10式艦上 戦闘機でした。この機体は、鳳翔完成の 前年1921年に試作された、日本最初の 艦上戦闘機でした。  設計は、イギリスから招いたハーバート・ スミス技師によるものでした。機体は、木製 骨組式の羽布張り構造で、エンジンは、 フランスのイスパノ・スイザ水冷発動機を、 三菱航空機が、ライセンス生産したもの でした。  空母鳳翔の戦闘機部隊に配備されたのは 1923年で、生産数は138機で、 1930年頃まで第一線戦闘機や、 練習戦闘機として活躍しました。  赤城と加賀の戦闘機部隊として配備 されたのは、この機体でした。  幅8.5m、全長6.9m、重量940kg、 最高速度230km、航続距離450km、 武装7.7mm機銃2丁が前方固定式で 装備されていました。  三菱航空機は、ハーバート・スミス技師の 設計による攻撃機と偵察機を製造しています。 それが、13式艦上攻撃機と、10式艦上 偵察機です。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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