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赤城・加賀 インド洋作戦 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 1942年4月に入り、日本陸軍は、 タイ国よりビルマへ向けて侵攻を 開始しました。  これは、ビルマ・インド方面に戦力を 集中しているイギリス軍に対する 攻勢作戦でした。  ただ、この作戦を実施するには、 イギリス軍の後方補給路を遮断しておく 必要がありました。  攻撃先は、ベンガル湾に面したインドと ビルマの港湾施設と、北インド洋と、 ベンガル湾からのイギリス輸送船群 でした。  さらに、この補給作戦を支援するであろう イギリス極東艦隊のインド洋とベンガル湾からの 駆逐も重要な使命でした。この作戦は、二方面 作戦で実施される事になりました。  一つは、ベンガル湾沿岸の港湾攻撃と、 在泊及び航行船舶への攻撃を実施する 攻撃隊を編成し、作戦を実施すること。  もう一つは、イギリス極東艦隊の撃滅を 目的とする攻撃隊を編成し、作戦を実行 することでした。  港湾の攻撃は、龍驤を中心に、重巡洋艦5隻、 軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻、給油艦2席が編成 されました。主力攻撃隊は、赤城、蒼龍、飛龍、 翔鶴、瑞鶴の5隻の空母と、戦艦4隻他で 編成されていました。  加賀は、パラオで、艦底触礁のため、修理 しており、この作戦には当初から参加して いませんでした。  1942年4月、日本軍は、コロンボ港に 攻撃隊を出撃させました。赤城からは、 戦闘機9機、攻撃機27機が出撃 しています。  イギリス軍は、日本の来襲を予測しており、 46機の戦闘機を出撃させ、上空に待機 していました。日本軍も、イギリス軍が 待ち伏せしていることは予期して、 迂回行動をとっていました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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赤城・加賀 ポートダーウィン攻撃 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 ポートダーウィンには、多数の艦船が 在泊していました。これは偶然にも、 オーストラリアとアメリカの両陸軍が、 日本の先手を打って、チモールを 攻略すべく、集結していたからでした。  アメリカとオーストラリア混成部隊は、 2月15日にポートダーウィン港を出発 していました。しかし、翌日に日本軍の 哨戒艇に発見され、ポートダーウィンに 引き返しています。  2月19日に、日本の空母4隻から 攻撃隊が出撃しました。赤城からは、 戦闘機9機、攻撃機と爆撃機各18機、 加賀からは、戦闘機9機、攻撃機27機、 爆撃機18機が出撃しました。  この日に、赤城と加賀から出撃した 攻撃隊は、全攻撃隊の60%に 達しました。  攻撃機は、800kg爆弾を搭載し、 爆撃機は、250kg爆弾を搭載 していました。  攻撃は、午前8時40分頃始まり ました。オーストラリア軍は、9機の 戦闘機で迎撃しました。  この当時、日本は、高い練度を誇る パイロットがそろっており、実戦経験の ないオーストラリア軍の戦闘機は、全て 撃墜されることになりました。  さらに、日本の戦闘機は、周辺に存在する 飛行場に超低空から機銃掃射を行い、在地 航空戦力全て破壊しました。艦船への攻撃も 徹底して行われ、駆逐艦1隻、貨物船8隻、 油槽船1隻を撃沈するという戦果を 上げています。  この後、ポートダーウィンが、日本軍に 対する反撃を行うのは、1943年5月頃からで、 航空部隊の戦力増強ができてからとなりました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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