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巡洋艦大淀 母を説得 [巡洋艦大淀]

 小淵氏は、小さい頃から海軍に憧れて いました。  それは、叔父が海軍の兵長だったと 聞いていたからでした。叔父は、小淵氏が 生まれる前に他界しており、面影を知る 母親の話を聞いていました。  叔父は、海軍の砲術学校を優秀な成績で 卒業し、軍艦筑波に乗り込み中、結核に かかり、帰郷を命じられ療養をして いましたが、病没したということ でした。  小淵氏が、海軍に行くと言い出すと、 叔父が海軍の勤務による過労で結核に なったと思っていた母は、海軍だけは、 やめてくれと言われました。  しかし、叔父の軍服姿の凛々しい姿が 写った写真に、強く憧れていた小淵氏は、 海軍に対するあこがれがつのるばかり でした。  山に囲まれた故郷には、海軍に言った人は 少なく、ほとんどが陸軍に徴用されていました。 一時、陸軍も考えましたが、野山を駆け巡る より、軍艦で荒波を蹴立てて進撃する方が、 どれだけ爽快なことか知れませんでした。  小淵氏は、母に、叔父が勤務していた 明治時代の軍艦とは比べ物にならないほど、 整っていることを説き、陸軍より、海軍の方が どれほど進歩しているかを、聞きかじりの 知識で、懸命に説得しました。  ついに、母は、「好きなようにしな。」と 寂しそうに言ってきました。  学校の帰りに、村役場に行き、海軍志願兵の 応募用紙をもらってきました。それを、父に 差し出すと、父は、何も言わず、承認の印を、 押してくれました。  応募用紙には、第一志望から第三志望を 書く欄がありましたが、年齢によって志願 できないと言われたので、何も書かずに、 おきました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 海軍を志願 [巡洋艦大淀]

 復員して生家に落ち着いた、小淵氏は、 農業の手伝いをすることにしました。  「今はどこに行っても食糧難だから、百姓を しているのが一番いいやね。」と、親戚や近所の 人達も言っていましたが、小淵氏の心は、 はずみませんでした。  小淵氏が、この郷里から海軍に入団 したのは、1942年8月末でした。志したのは その1年前で、国民学校高等科2年生の時 でした。その頃、小淵氏は、学級内で体格に 優れ、体力にも自信がありました。  ある日、隣町での国民学校で、陸上競技の 対抗試合があり、各校5名ずつ出場して 10種競技が行われました。小淵氏はこの 競技に参加し、かなりの点数をあげましたが、 チームの成績はふるいませんでした。  小淵氏は、帰り道、担当していた木暮先生 から、「海軍に志願しないか。」と言われ ドキッとしました。木暮先生は、師範学校を 出て、鳥海に乗り込んでいたので、海軍や 軍艦のことをよく話してくれました。  小淵氏は、上級学校に行きたいと思って いたものの、この当時は、尋常科を終えると すぐに奉公に出たり、就職したりして家計を 助力するものがおり、小渕氏のように高等科で 学べるだけで恵まれていると言えました。  高等科を卒業すれば、村を離れて就職する と言うのが、当時の風習だったので、卒業後の ことは、あまり考えていませんでした。  「海軍に志願する」という、こんなに素晴らしい ことに、なぜ気づかなかったのかと、身震い するような感動を覚えたとしています。  念の為、若すぎないか確認すると、飛行兵や 電信兵は志願できるということでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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