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巡洋艦大淀 国民学校卒業 [巡洋艦大淀]

海軍の志願兵試験は、合格しても必ず採用 されるとは限らないと聞かされ、早くどちらかに 決まってくれないかと感じていました。 小淵氏は、考えあぐねた末に、村に残って、 海軍の採用を待つのが一番良いと決心し、 担任の先生に就職を取りやめたいと申し 出ました。すると、職安に行って断ってきて くれということ、放課後職安に向かいました。 係の人に、「海軍からいつ採用通知がいつ 来るかわからないので、就職を取り消して もらいたい。」と言うと、いまさら取り 消せないので、海軍に入るまで、 働きなさいと言われました。 小淵氏は言葉に詰まり、とっさに、母が 死んで家も忙しいのでという言葉がついて 出ました。すると、母を思い出し、涙が溢れ 出しました。係の人は、涙ぐんでいる 小淵氏を見て、取り消しを了承して くれました。 肩の荷が下りた小淵氏は、夕陽が沈み かけた砂利道を走り出しました。残雪に おおわれている三国山脈から吹きおろして 来る風は冷たかったものの、体は汗ばんで いました。 小淵氏は、息を弾ませながら、「海軍に 行くまでうちにいる。」と声をかけました。 小渕氏の心は、晴れ晴れとしていました。 やがて国民学校卒業式も終わり、村に 残った小淵氏らは、この年から義務教育に なった青年学校に入校しました。 青年学校は、軍隊の予備校的な存在で、 教鞭は、退役軍人が指導に当たっていました。 普通学は、国民学校の教員が兼務しており、 週2、3回招集されました。 待ちに待った海軍の採用通知は、4月の中旬でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 就職に対する不安 [巡洋艦大淀]

 国を挙げての戦時体制の中で、国民学校の 卒業が迫っていました。この頃も、日本軍が勝ち 進む様が相次いで発表され、海軍に入る前に 戦争が片づいてしまうのではないかと、 思うようになりました。  小淵氏は、採用通知が来るのを一日千秋の 思いで待っていましたが、音沙汰がありません でした。この頃は、長男として農業に従事する もの以外は、軍需工場に就職するようにという 職安からの強制的勧誘が行われていました。  そのため、友人は、皆就職先を決めて いましたが、小淵氏は、いつ海軍から採用 通知が来るかわからないので、迷っていました。 小渕氏も、あまりに勧誘されるので、東京に ある軍需工場に就職することを承知しました。  上の学校に行きたいと思っていた小淵氏は、 工場に入れば、青年学校があるので、働き ながら学べると巧妙に誘われたからでした。 しかし、この日から、いつ採用通知が来るか、 不安な毎日を怒っていました。  兄からは、すぐに海軍に行くようになるの だから、それまで家の手伝いをして待てば 良いと言われ、父からは、好きなようにしなと 言われました。母が死んでから、父は、 一層無口になっていました。  一緒に志願して合格した人達は、村の 青年学校に在学中なので、村を離れて 就職することに不安を感じました。東京に 行ってすぐに帰ってくるのもやっかいだし、 どうしたらよいか心配していました。  そして、卒業式が迫り、就職者の集合日が 通知されてきました。気が気でない毎日が 続くことになりました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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