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巡洋艦大淀 手術 [巡洋艦大淀]

 面疔の恐ろしさを聞いた小淵氏でしたが、 母の容態に結びつけて理解することは 容易にできませんでした。  しかし、自分たちにはどうにもならない 病気であるとわかればわかるほど、頼るのは 医者しかいませんでした。  何らかの処置はできていなければなりません でしたが、外科医の話は、手遅れと言っている ように思えました。  兄が、「どんなことをしてもいいので助けて ください。」と頼み込むと、「顔に傷が残りますが、 切開手術すればあるいは・・・」ということでした。  父は、仕事から戻ってきていませんでしたが、 残った家族は同意し、兄と姉が手術に立ち会う ことになりました。妹が、突然大声で泣き始め ました。いくらなだめても泣き止むことは、 ありませんでした。  小淵氏は、妹を連れて、表通りに向かって 走りました。行くあてはありませんでしたが、 丁度近所のおばさんが通りかかりました。 母と親しくしている人で、今手術している ことを話すと、事情を察し妹を連れて、 戻っていきました。  片割れの月が、山の端にかかり、無数の 星がきらめいており、凍った道がおばさんの 下駄を鳴らし、泣きじゃくりながら手を引かれて 行く妹の藁草履の音まで、妙に胸に染み込む ような夜でした。  家に戻ると、手術は終わりかけていました。 小淵氏は炉端に座り、燃え盛る焚き火を じっと見つめながら、手術の成功を 祈りました。  やがて、手術を終えた医者は、「知らせる ところがあるなら、早く知らせておいたほうが 良い。万一ということもありますからね。」と 言葉を残し、そそくさと帰っていきました。  父親はまだ帰ってきませんでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 面疔 [巡洋艦大淀]

 母の病状は少しも快方に向かう様子は ありませんでした。かなり苦しいはずですが、 我慢強い性格の母らしく、じっと耐えて いるのが、看護する子供にもよく 分かりました。  小淵氏が病床に言った時、母から、 「海軍はどうなった。」と聞かれました。 小淵氏は、「合格通知がきたよ。」というと、 母は、眼を閉じて、「お前も海軍に行って しまうのか・・・」とつぶやくように言いました。 小淵氏は、母の気持ちがわかり、切なさを 感じました。  翌日、学校から帰ってくると、丁度往診に きている医者が帰るところでした。医者が こういて毎日往診に来ているので、間もなく 快くなるものと考えていました。  しかし、母の唇には吹き出物ができ、日増しに 膨れ上がってきました。痛みもますます激しくなる ようでした。面疔という病気がどのようなものなのか 家中の者、誰ひとり知りませんでした。  母が床についてから4日目、様子が 思わしくないので、かかりつけ医の他に、 外科医もついてきて、二人で往診して いました。  大したことないと言われていた母の 容態が只事ではなくなってきましたが、 外科医が手術すれば良くなるだろうと 期待しました。  往診を待っていた家族は、診察を終えた 二人の医師に母の容態を確認しました。 内科医が、「どうも思わしくない」と 低い声で答えました。  受け継ぐように外科医が、「面疔は厄介な 病気で、毒素を防ぐリンパ腺がないので、 心臓に毒が回ってしまう。顔以外のできものは、 その毒のリンパ腺が喰い止めるのだが・・・」と 面疔の恐ろしさを話し始めました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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