SSブログ

赤城・加賀 ラバウル、カビエンへの航空攻撃 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 1942年1月23日にソロモン諸島への 上陸作戦が予定されていました。3日前の 1月20日に、赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴から、 出撃しました。  赤城からは、戦闘機9機、攻撃機20機が、 加賀からは、戦闘機9機、攻撃機27機が 出撃しています。攻撃目標は、ラバウルで、 小規模なオーストラリア陸海空軍部隊が 駐留していました。  攻撃対象は、飛行場と施設、市街地の 軍事施設、防空砲台、停泊中の艦船でした。 この日、飛行場には数機の練習機がいる だけで、湾内には、小型貨物船が停泊 しているだけでした。  有り余る攻撃隊に対して、対象物を探して 投弾しただけという、大きな戦果を得る べくもなく、攻撃を終了しました。  翌日、カビエンに、航空攻撃を実施して います。赤城からは、戦闘機9機、攻撃機 18機が、加賀からは、戦闘機9機、攻撃機 16機が出撃しています。  しかし、カビエンは、ラバウルより攻撃目標が 少ないものでした。2回の航空攻撃で、敵からの 反撃はなく、艦載機の損害は皆無でした。  2月になり、ジャワ島東方のチモール島攻略を 計画しました。上陸作戦の予定は、2月20日 でした。  この作戦に先立ち、チモールの東南700kmの 位置にあるオーストラリアの拠点ポートダーウィン 周辺の基地や艦船に対する攻撃計画を立てました。  攻撃部隊は、赤城、加賀、蒼龍、飛龍で、 第一目標は、ポートダーウィン港内に在泊する 艦船と港湾施設で、第二目標は、ダーウィン市 郊外に点在する航空基地でした。  ポートダーウィンには、偶然が重なり、多数の 艦船が在泊していました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
nice!(0)  コメント(0) 

赤城・加賀 真珠湾攻撃 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 真珠湾攻撃は、2回に渡る攻撃隊を 出撃させています。  第一次攻撃隊では、赤城は、戦闘機9機と、 攻撃機27機の合計36機を、加賀は、戦闘機 9機と、攻撃機26機の合計35機を出撃 させています。  攻撃隊は、800kg魚雷と、800kg 徹甲爆弾を搭載しており、停泊中の大型艦が 目標でした。  第二次攻撃隊では、赤城は、戦闘機9機と、 爆撃機18機の合計27機を、加賀は、戦闘機 9機と、爆撃機27機の合計36機を出撃させて います。  攻撃隊は、全て艦船用の250kg爆弾を 搭載しており、停泊中の艦船に対する 急降下爆撃が目標でした。  真珠湾攻撃による戦果は、沈めた戦艦は、 大半は修理後復帰しており、アメリカの工業力 からすると、一時の効果しかありませんでした。  総合的には大したことはなく、大博打の割に、 実入りがないと言えます。しかも、日本海軍が もくろんでいた敵空母への攻撃ができず、 全く戦果がなかったことが、この後の作戦に 大きな影響を与えています。  被害は、赤城が戦闘機1機と爆撃機4機の 合計5機、加賀は、戦闘機4機と攻撃機5機、 爆撃機6機の合計15機となっています。  加賀の被害は、参加航空隊の被害の 半分に達するほど大きかったと言えます。  真珠湾による開戦と同時、南太平洋の 遠隔地に前進基地を構築する必要があると 判断し、ラバウルや、カビエンへの攻略 部隊を出撃させていました。  上陸作戦に先立ち、海軍航空隊も攻略 地点周辺の航空攻撃をすることになり、 赤城と加賀は、翔鶴、瑞鶴らと出撃 しています。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。