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巡洋艦大淀 平野兵曹の話 [巡洋艦大淀]

 平野兵曹の話は、「アメリカ軍は、この 近辺にある砲台を、案内しろと言って 連れて行ったようでした。  昼前だったので、艦に着くと、食事が出たが、 パン3切れと紅茶、飴玉2個とタバコ2本が ついていたようでした。それが昼食に なりました。  始めのうちは、どうなるかと心配でしたが、 通訳がいたので、こちらの言うことも通じたし、 安心していられた。」と前置きして、経過を 話してくれました。  平野兵曹は、艦内で、三浦半島の地図を 渡され、砲台のある場所を聞かれたが、 その地図には各砲台の位置や、大砲の数、 口径まで記されており、「この他にも砲台が あるだろうと」と、執拗に聞き出されました。  しかし、平野兵曹が知っている砲台は 全て記入されており、「この他にはない。」と 答えたところ、知っているころへ案内しろと 言うことで、油壺の特潜基地から、黒崎鼻、 佐島などを内火艇で、一巡させられてきた ということでした。  平野兵曹は、「俺達より奴らの方が、 砲台や基地のあるところをよく知って いるよ。全く驚いたな」とため息を ついていました。  それから数日して、今度は、小淵氏と 石橋一曹しかいないところに、アメリカ軍の ジープがやってきました。  通訳も連れず、なにか要求していましたが、 砲台を調べに来たと判断し、案内しました。 地下壕に入ると、後ろから拳銃を構えて ついてきました。  彼らもよほど警戒しているようですが、 小淵氏もあまり気持ちがいいものでは ありませんでした。  彼らは、砲台や弾薬庫を覗いてすぐに 引き揚げました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 連れて行かれた平野兵曹 [巡洋艦大淀]

 平野兵曹は、アメリカ軍の内火艇に 乗せられて連れて行かれたようでした。  これを、浜で漁網の繕いをしていた 弥助じいさんが見つけて、大急ぎで 知らせに来てくれたようでした。  砲台の前方には、5日前頃から巡洋艦や 駆逐艦が数隻仮泊しており、それが、日毎に 増えていき、この時は、戦艦や空母なども 見られるようになり、数え切れないほど、 相模湾は埋め尽くされていました。  平野兵曹が連れて行かれてから5時間が 経過していました。これは何かあったに 違いないという不吉な予感が、集まった 人達を包み込みました。  終戦直後、「兵隊は全員銃殺される。」、 「軍人はアメリカに連れて行かれ、終身 重労働を科される。」、「下士官以上は、 何らかの刑を科されるだろう。」といった ことが、しきりに囁かれていました。  福井一曹が、「銃殺にでもなってしまった のかな。」という言葉を発しました。これを 一概に否定するものはありませんでした。  小淵氏は、平野兵曹に降り掛かっている 災難を思っている内に、ムラムラ敵愾心が 燃え上がってきました。  そして、「あの艦隊に大砲をぶっ放して やるか。あれだけいるのだから、どれかに 当たるよ。」と話すと、「2人で1門ずつでは、 大分きついな。」などと話が発展していきました。  そこへ、ひょっこり平野兵曹が帰ってきました。 平野兵曹が、小淵氏らの心配そうな顔を一回り 見回すと、「腹が減った。」と笑いながら、 経緯を話し始めました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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