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巡洋艦大淀 練習兵制度 [巡洋艦大淀]

 入団式が済むと、ただちに本格的な 新兵教育が始まりました。  海軍の志願兵は、予科練・電信兵・ 水中測的兵・軍学兵等の特殊兵科を除き、 一般の兵は、海兵団で3ヶ月の新兵教育を 受けると、一等兵に進級します。  その後、艦隊や第一線部隊に配属 されることになっていました。しかし、 練習兵だけは、海兵団で1年間の教育を 受けることになりました。小淵氏もこの 練習兵に該当します。  この制度を知らなかった小淵氏らは、 1日でも早く軍艦に乗り込んで戦場に 出ることを夢見ていましたが、1年も 海兵団で教育を受けなければならないと 聞いて、不平タラタラでした。  入団式後、普通学の教科書を見て、 「軍隊に来てまで、こんな勉強をさせ られるのか。」と、山に積まれた教科書に うんざりしている者も多くなっていました。  練習兵は、一般志願兵と違い、近代戦に 必要な科学兵器や特殊兵器を充分使い こなせるような兵士に育て上げ、将来、 帝国海軍の中堅幹部として、活躍 できる者を養成するための制度でした。  そのためには、基礎となる学問が大切であり、 中学中級程度の普通学をみっちり教え込む ということでした。  この普通学の教員は、師範学校を卒業して 徴兵で海軍に入った人達で、なおかつ、 実戦の体験者の中から、選抜された者が なりました。  教員は、一個分隊に5名配属され、国語・ 国文法・数学・幾何・三角法・物理・地理・歴史・ 英語等、それぞれ得意とする科目を担当 しました。この教員以外に、文官と呼ぶ 高等学校の教授クラスが数名おり、時々 講義しました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 正式の海軍軍人となる [巡洋艦大淀]

 壇上に立った海兵団長は、粛然とした 練兵場に澄んだ音声を響き渡らせました。 訓示は簡単なものでした。  引き続き、「○以下何百何十名、海軍 四等水兵を命ず、以下百名、海軍四等 整備兵を命ず。」と、それぞれの兵科毎に 四等兵が命じられました。こうして入団者は、 正式の海軍軍人となりました。  海軍四等兵は、1942年9月1日付の 入団者が最後で、その後は、階級制度が 改正され、11月1日から最下級の二等兵と なりました。これは陸軍に合わせたものでした。  この改正で、小淵氏は、二等水兵となりました。 すると、分隊士や、教班長から、「お前たちは、 特殊潜航艇の9軍神のように、二階級特進した。 それも生きていてだからな。」とからかわれました。  海軍では、1月15日、5月1日、9月1日と 入団日が決まっています。そのため、四等水兵は、 小淵氏の同期に入団した者たちだけで、2ヶ月間 のみ四等水兵となっていました。海軍では、 新兵は階級章がないので、「カラス」と呼ばれました。 (追記)  海軍の階級は二等兵が新兵教育中の階級で、 次が一等兵で、上等兵、兵長と進級します。 ここまでが、兵隊と呼ばれました。  その上が、下士官で、二等兵曹、一等兵曹、 上等兵曹でした。その上が、兵曹長で士官と なりますが、兵学校を卒業したばかりの少尉 候補生や学徒出身の予備学生の下になり、 准士官と呼ばれていました。  士官は、少尉、中尉、大尉、少佐、中佐、 大佐、少将、中将、大将となります。兵からの 昇進は、少佐が最高位でした。  特年兵は、大佐まで昇進が約束されて いました。兵学校の生徒は、兵曹長の下、 下士官の上に位置づけられています。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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