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巡洋艦大淀 外出時の楽しみ [巡洋艦大淀]

 練習兵の外出区域は、長井町や佐島、 秋谷、長者ヶ崎、葉山付近までで、 遠方への外出は禁止されていました。  しかし、長井町や、佐島周辺に、練習兵の 目的の場所はありました。練習兵が目的と していたのは、食料補給でした。海兵団の 食事だけでは、満腹する事はできないから でした。  外出を許可されるようになってからしばらくして、 各分隊ごとにクラブが設けられました。11分隊は、 秋谷に一件の洋館を見つけ、そこで、昼食や 休憩を取るように言われました。  しかし、このクラブにはピアノが一台あるだけで、 他には何もありませんでした。そのため、始めのうちは、 ここに来て昼食をとっていましたが、次第に少なくなって しまいました。  もう一つ、クラブには、一冊の分厚い本がありました。 しかし、誰も読むものはおらず、いつ行っても同じ机の 上に置いてありました。その本は旧約聖書で、読み 終わるまでにかなりの時間がかかりそうでした。  小淵氏は、その本を手に取り、姉が信仰していた キリスト教の聖書であることを知り、何の気なしに 読み始めました。  かなり難解な文章でしたが、いつの間にかそれを 読むことが楽しみになっていました。外出が許可 されるようになり、練習兵は生気に満ちあふれて きました。  団内での辛いことや、苦しいことも忘れ、自由に 遊び回れるのは、無上の楽しみでした。旧兵も いないので、礼を忘れて殴られる心配もなく、 一日中自由に遊び回って、大いに英気を養い、 帰ってくる顔は、歓びに溢れていました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 第三海兵団に移転 [巡洋艦大淀]

 1943年1月4日、練習兵分隊は、 第三海兵団に移転となりました。  去年の10月から、練平場の向こうにある 長井町近くに、兵舎が建て始められました。 それが完成したからでした。  胃嚢、吊床、銃剣、剣道具、木銃、防具、 手箱、教科書など、今まで使用していた 一切のものをかついだり持ったりして、広い 練兵場を何回も往復しました。  着いてみると、兵舎はまだ完成ではありません でした。窓ガラスがなく、板を打ち着けてあったり、 入口の扉がなく潮風が兵舎の中を、吹き抜けて いきました。  兵舎の端から、15mほど離れたところには 浅い海で、ボラが群れをなして泳いでいました。 ここでも、団内美化作業が待ち受けていました。  練習兵分隊は、訓練や普通学の余暇に、 入団当時のように材木の片付けや、草むしり、 モッコかつぎなどして、たちまち団内を片付け ました。  第三海兵団は、練習兵分隊のために 建てられたようで、普通学を受ける講堂も 立派に出来上がっていました。  階段教室などもありましたが、新築の兵舎 なので、手入れは行き届いておらず、練習兵は それらの床の軍艦の甲板掃除よろしく、 磨き上げました。  新兵の時は、行軍などでしか海兵団の外に 出られませんでしたが、進級してからは、 日曜日ごとに外出が許可されるように なりました。  始めは引率されながらの外出でしたが、 やがて自由行動ができるようになり、朝食が すむと、早速軍服に着替えて弁当と菓子二袋を、 白い風呂敷に包み、水筒を下げて兵舎の前に 整列しました。  そこで、外出の注意事項を訓示され、団門を 出ると、それぞれの目的地に急ぎました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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