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巡洋艦大淀 武運長久と戦勝の祈願 [巡洋艦大淀]

 叔母の一言で、いくぶん安心したものの、 一緒に行く者の中で、小淵氏が最も最年少で、 体格も一番貧弱でした。それが、頭から離れず、 くよくよ悩み続けていました。  もし帰されたら、こうして送ってくれる人達に 顔向けできませんでした。それを思うと、 送別会も針のむしろのようで、居たたまれ ない気持ちでした。  そこへ、送別のため東京から帰ってきた姉が、 母の墓参りに行こうというので、小淵氏は、 ほっとして席を立ちました。妹も女学校から 帰ってきたので、一緒に墓地に向かいました。  「菊の御紋の影うつす、固い護りの太平洋、 海の男子の生きがいは、沖の夕陽に撃滅の、 敵のマストを夢見る。」姉は、歩きながら、そんな 歌詞を口ずさんでいました。  1942年8月29日早朝、住み慣れた生家を 後に、氏神様に向かいました。樹齢2000年 以上と言われる杉や樅(もみ)の古木に 囲まれている産土神の社殿は、よく晴れて いるのに、薄暗い場所でした。  小淵氏は、この集落から出生する二歳上の者と 一緒に昇殿し、武運長久と戦勝の祈願をして もらいました。終わった後は、見送りの人達に 挨拶をすませ、集合場所の中之条町に 向かいました。  以前は、旗や幟を押し立てての盛大な見送り でしたが、この頃は、禁止されて日の丸の 小旗だけでした。集合場所の沿道には、 大勢の見送りの人達がつめかけていました。  吾妻郡内の入団者は、全員ここに集まって、 バスで高崎に向かうことになっていました。 全員揃うと、近くの神社に行き、ここでも 武運長久と戦勝を祈願しました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 出発前日 [巡洋艦大淀]

 8月に入ると、入団する小淵氏は、慌ただしい 気分に駆り立てられました。近所に人達に出す 礼状のはがきを街の印刷屋に頼んだり、 入団する時、持ってゆくものを整えたり しました。  礼状の宛名書きも、大変な仕事でした。普段、 はがきを書くことはなく、うまく文字がつづれません でした。同時に、小淵氏は左利きなので、 文字は下手でした。  この時期は、村では麻の取り入れが 始まりました。麻の木を細長い釜で何時間も 煮てから皮をむく仕事がありました。  夜通し煮るようなときもあるので、釜の 周りに子供たちが集まってきて、トウモロコシを 焼いたりして、はしゃぎ回りました。  子供たちは、小淵氏の送別の宴を張って くれているつもりかも知れませんでした。 歌ったり、踊ったりで賑やかでした。  まだ十分実っていないサツマイモなどを 持ってきて焼いてくれる子供もいました。 皆下級生ですが、一緒に水泳に行ったり、 栗拾いに行ったりした小さい仲間たちでした。  入団の日がまたたくまに迫り、いよいよ 明朝出発となりました。家族が、昼から 近所の人達を呼び、送別会をしてくれ ました。しかし、酒が飲めない小淵は 窮屈この上ありませんでした。  「母の代わりだからこの盃を受けな。」と 言って、叔母がすすめるので一口飲み ましたが、まずかったとしています。  小淵氏は、叔母に、入団時身体検査があり、 不合格だと即日帰郷させるということで、心配で ならないと打ち明けました。  それに対して、叔母は、「お前くらい体格が 良ければ、帰されることなんかありましないよ。 心配しなくていい。保証するよ。」と即答して くれました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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