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巡洋艦大淀 小野沢兵長 [巡洋艦大淀]

 小淵氏は、卒業が近づき、弟のように 可愛がってくれた小野沢兵長ともお別れ しなければならないと考えていました。  (小野沢兵長は、終戦後、小淵氏が 砲台の番をしている時に、偶然バスに 乗るところを見つけ追いかけた下士官 です)。  小野沢さんは、小淵氏らを教えている 教班長の一期後輩でした。ある日、巡検後に 起こしに来た衛兵が、「小野沢さんが待って いるから。」と言うので、(小野沢さんが誰か 知らずに)行ってみると、教員助手を している人が兵舎の外で待っていました。  小淵氏は、この時、初めてこの人が 小野沢さんであると認識しました。 小野沢さんと小淵氏は、一緒に 海岸端に行って腰を降ろしました。  小野沢さんが、小淵氏のひざに、 酒保の菓子袋を開いて乗せ、「吊床の 中で食べているのを見つけられると うるさいから、ここで食べてゆこう。」と すすめられました。そして、空を見ながら 星座の話などを、してくれました。  その後、週に一回くらい会っていました。 そのたびに、いつもお菓子を持ってきて くれていました。  ある日、小野沢さんが、「外出ができる ようになったので、映画を見る機会もある だろうが、映画は見ない方がよい。故郷を 思い出し寂しくなる。」と言っていました。  小淵氏は、この話を聞く前に、映画館で 上映されていた「巌窟王」を二度も繰り返し 見ていました。この映画は、原作を江戸時代 から幕末にかけて設定した和訳風の映画で、 小淵氏が入団する前に封切られたものでした。  それを見た友人に勧められていましたが 入団で見逃し、練習兵になってやっと 見られたものでした。  この後、小野沢さんの助言通り、映画は 見ないことにしたとしています。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 卒業間近 [巡洋艦大淀]

 小淵氏は、後輩たちを見て、「これまた、 ずいぶんやわいのが集まったものだなあ・・・。」 と、自分たちが入団した当時のことなど忘れて、 あまりに子供っぽい二期兵に誰もが目を 見張りました。  7月半ば頃、各自の志望する術科学校の 調査がありました。この術科学校は、海兵団 教育を終了して実施部隊に配属され、その 中から選ばれたものが入校する建前になって いましたが、練習兵には、すぐに術科学校 入校の特典が与えられました。  小淵氏は、横須賀砲術学校の測的術幹部を 希望しました。その発表があったのは7月の末で、 同教班の戸谷一曹も同じ希望でした。しかし、 彼は卒業目前に胸膜炎にかかり入院しました。  練習兵生活と別れが近くなると、教班長は 全く怒らなくなりました。少々ヘマをしても 「気をつけろよ。」というぐらいで、罰直は ほとんどなくなっていました。  何か気が抜けた気分であり、教班長も 寂しそうでした。それは、精魂込めて事を なし終えた人達の姿でした。しかし、5人の 普通学教員は、短期現役で除隊が近づいて いたためか、溌溂としていました。この人達は、 やがて故郷に帰り、教鞭をとるようでした。  教班長は、全身全霊を傾けて教育した 少年がまもなくそれぞれの方面に散って いくのを、見届けることもなく、再び実施 部隊に配属されていきます。  海軍は人事異動が激しいところで、教班長や 分隊士、分隊長も移動となっていました。 小淵氏は、これらの人達と、再び合う機会が あるのだろうかと、思いました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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