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巡洋艦大淀 苦しい時こそ [巡洋艦大淀]

 小淵氏は、短艇を漕いだ時、そのオールの 重さの驚いたとしています。短艇は、一人一本の オールを漕ぐことになりますが、太いにぎりの ところには鉛がはめ込んでありました。  艇側から突き出した水かきの部分と、バランスが とってありました。これが、25kgくらいの重さになり、 始めのうちは、オールさばきもうまく行かず、海中に 突っ込みすぎて抜けなくなったり、浅すぎて引いた 途端、空中にはねあげ、うしろの席にひっくり 返ったりの連続でした。  漕ぎ進めるようになった頃から、教班対抗の 競漕が行われました。短艇競漕は、誰もが 嫌がったものでした。しかし、嫌だからと いって逃げられるものではありませんでした。  短艇のオールは、12本なので、5人は漕が なくて済みましたが、終始見ているだけという わけにはいきませんでした。  「苦境より脱するには、速やかにその苦しみに 慣れるにあり。」というのが、四等兵から叩き上げて きた庄司分隊士の訓示でした。  「苦しい時こそ、自分からその苦しみの中に 飛び込んでいけ。そうすれば、苦しいことなど 逃げていってしまう。」と説いてくれました。  夕食後、温習が一時間半くらいあり、その後 居住区の掃除に取り掛かり、やがて、「吊床降ろし 5分前」の号令がかかりました。  海軍では、全て5分前の号令がかかりますが、 これは、心の準備をするもので、行動に移る ことはありませんでした。  「総員吊床降ろせ。」の本番の号令がかかり、 一斉に行動を始めました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 軍事教練 [巡洋艦大淀]

 午前中の講義が終わると、昼食となり、 それから午後の軍事教練が始まりました。  陸戦訓練・艦砲操作・短艇漕法・通船・ 手旗・運用結束術・銃剣術・剣道・体技・ 水泳などのありとあらゆる訓練が ありました。  この他にも、陸戦操典や運用学などの 座学があり、雨の日などに講義が行われ ました。そして、一区切りつくと、試験が ありました。  海兵団という所は、試験が多く、その 成績が海軍について回るということでした。 午後の軍事教練は、体力を消耗するものが 多く、終わった頃には、空腹と疲労でぐったり となりました。しかし、そこからが大変でした。  短艇競漕に負けた時は、夕食の食膳を したテーブルを頭上に支えての罰直と なりました。30分こらえて許しが出る頃 には、他の教班は、温習を始めていました。  罰直後、「1分間で済ませろ。」となり、飯に 汁をかけて胃の中に流し込むより方法は ありませんでした。  それでも、食べられればいいほうで、支えて いるときに、テーブルをぐらつかせ、床に こぼしてしまうこともありました。  「短艇競漕に負けたら、まず夕食は食べられ ないものと思うより仕方がない。」というのが 実情でした。これが、負けじ魂を養うことに なりますが、13班の内、必ずどこかの 班が犠牲になります。  尻の皮をむきながら頑張りますが、オールが 古いものや曲がっているもの、水かきの欠けた もの等がありました。しかし、これらは、負けた 理由には、なりませんでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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