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巡洋艦大淀 1ヶ月の短縮 [巡洋艦大淀]

 7月になり、水泳訓練が始まりました。 泳げない赤帽、少し泳げる白帽、上手な ものは、白帽に赤線が、1線、2線と つけられていました。  この水泳訓練は、長時間浮かんでいるのを 目的とするもので、競泳は行われませんでした。 しかし、かなりの遠泳などがありました水泳の 訓練が終わると、相撲が行われました。  これは、「押さば押せ、引かば押せ。」の、 押しの一手で攻めまくる海軍式の相撲でした。 それと、負け残りなので、勝つまで土俵を 降りることは、できませんでした。  これは、敢闘精神を養うもので、銃剣術や 剣道など、あらゆる競技に負け残りが ありました。  当初、1年の訓練期間が設定されていましたが、 1ヶ月短縮され、7月一杯で終了となりました。 しかし、その理由の説明はありませんでした。 そのため、5月から、各教課ともかなり速い テンポで、進められました。  艦務実習は、第一海兵団の岸壁に繋留 されている特務艦春日で行われました。 この春日は、日露戦争当時の軍艦で、 旧式となっていましたが、小淵氏は、 初めて身近に接する軍艦の内部は 全て珍しく、驚嘆しました。  この実習で閉口したのは、艦内の厠 でした。一段高くなったところに腰掛けて、 8名ほどが並んで用を足しましたが、仕切りは、 30cmの高さの板があるだけでした。  「軍艦の厠はこんなものだ。」と言われ、 軍艦乗艦を希望していた者の中から、厠の 問題で、陸戦隊を希望するものが出たほど でした。  春日での艦務実習は、三泊4日 続けられ、種々の訓練を受けました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 姉と面会 [巡洋艦大淀]

 東郷神社から、再び電車に乗り、東京駅に 着いた時は、豪雨もやんでおり、雲に切れ目 から、青空が見えていました。  ここで休憩があり、面会も許されました。 小淵氏は、前もって連絡していた二人の 姉と会いました。  海兵団でも日曜日には面会が許されて いたので、二度ほど会っていました。始めの 頃は、面会が嬉しいものでしたが、この頃は、 さほどでもなくなっていました。海軍に入って 10ヶ月、海兵団生活にもすっかり馴れて、 故郷のこともあまり気にかけなくなって いました。  姉たちと、駅前の広場を歩いている時、 輪になった人垣を見ました。輪の中に いるのは、学徒出陣の者らしく、まわりを 仲間が囲んで激励しているところでした。  角帽に羽織、袴の応援団長風の大男が、 扇子を広げて何やら歌いながら踊るふうな 仕草をしていました。やがて、集合の号令が かかり、姉たちと別れて再び皇居に遥拝し、 横須賀に向かいました。  翌日、普通学の時間に、「お前たちは、 昨日の東京行軍で、海軍の伝統を汚した。 それがなにかわかるか。」と満面に 怒気を含んで睨んできました。  数名が答えましたが、「そんなことではない。」と 一蹴されました。「誰もわからんのか」と嘆かわしい と言った口ぶりで語りました。  電車に乗り込む時に、先を争って席を奪い 合っていた者がいたということでした。そして、 「あのざまは何事だ。海軍の軍人にあるまじき 行為と思わないか。」と叱責されました。  小淵氏らは、猛省するしかありませんでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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