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巡洋艦大淀 戦艦山城の見学 [巡洋艦大淀]

 入校して1ヶ月ばかりが過ぎた頃、 戦艦山城の見学がありました。  山城は、すぐ裏手の山を超えた岸壁に 繋留しており、砲術学校の練習艦として 使用していました。しかし、山城は現役の 戦艦なので、小淵氏ら練習兵が山城で 実習する事はできませんでした。  小淵氏は、巨大な浮城である山城を 目の当たりにして、その偉容に驚嘆しました。 海兵団時代に実習した春日とは、比較に なりませんでした。  艦内は、隅々まで手入れが行き届いて おり、光り輝いていました。丁度、高等科の 練習兵が実習中で、36cm主砲が仮想敵を 求めてぐるぐると動いていました。  小淵氏は、幹部班の関係する射撃指揮所、 艦橋、測距塔、発令所等の艦内配置を 見学して回りました。しかし、艦内は複雑で、 1日くらいの見学では、どこがどうなっているのか 分からず、艦内配置を覚え込むということは できませんでした。  小淵氏は、小野沢兵曹が、山城に転勤する という話を聞いて、危惧していました。小野沢 兵曹は、病気をしており、小淵氏がこの話を 聞いた5月頃は、まだ完治していませんでした。  艦務の厳しさ、特に戦艦は、各艦ごとに形容 された言葉があり、山城は、「鬼の山城」と評判に なるほど、厳しいことがよく知られていました。 小淵氏は、小野沢兵曹が、その山城に行くと 聞いて、悲しさのあまり言葉もなかったとして います。 (追記)  各戦艦を形容した言葉は以下の通りです。  鬼の山城、地獄の金剛、音に聞こえた蛇の長門。 日向行こうか、伊勢行こか、いっそ海兵団で首吊ろか。 地獄榛名に鬼金剛、羅刹霧島、夜叉比叡。 乗るな山城 鬼より恐い。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 術科学校の勉強 [巡洋艦大淀]

 海兵団入団当初、小淵氏は、出身県による 言葉使いやなまり、気風の違いに戸惑い ましたが、横須賀海軍砲術学校は、一層 はなはだしく、容易に解け合いそうに ありませんでした。  そのため、しばらくは、鎮守府別の対抗意識が はびこっていました。しかし、それも、同年代の 志を同じくする者であると理解してからは、 兄弟以上の親しい間柄になっていきました。  海兵団教育時に、術科学校の厳しさを 説かれてた小淵氏らは、皆が固い決意を 持って、入校してきていましたが、思った ほどの厳しさではありませんでした。  それは、この学校では、主として専門的な 教科が多く、渡される教科書は、赤い表紙の 機密書類で、ほとんどが軍事秘と印がされて おり、課業はじめの時に渡され、終わった時に 回収されたため、吊床で勉強することは できませんでした。  機密でない教科はそれほど勉強する必要は なく、厳しい勉強ではありませんでした。  砲術学校でも、横須賀市内に各班ごとの 下宿が指定されました。まだ一等水兵なので、 外泊は許されませんでしたが、外出時に 下宿で昼食が用意されました。  小淵氏がいる5班は、海軍工廠に勤める 渡辺さんという人の家が指定されました。 隔週の日曜日にその家に行き、すこし ばかり家族的な雰囲気を味わうことが できました。  さらに、山育ちの小淵氏は、この頃には、 山が恋しくなっていました。そのため、鎌倉の 山中を散策しながら、故郷では栗の実や 柿などが熟れる頃だろうと考えていました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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