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巡洋艦大淀 小我を捨てて、大我につけ [巡洋艦大淀]

 明日進級式という夜、みんな懸命に 一等水兵の階級章を一種軍装に縫い 付けました。いよいよ最下級兵からの 脱出でした。  翌日、階級章に黒い紙を着けて練兵場に 整列した私達は、海兵団長の現れるのを、 今や遅しと待っていました。やがて、壇上に 登った海兵団長から、「海軍一等水兵を命ず。」 と言われ、階級章を覆っている紙片を 取り除きました。  晴れの海軍一等水兵となりました。 一般志願兵で入団した同期の人達は、 この日で海兵団教育を修了し、艦船や 実施部隊へと配属されていきました。 しかし、練習兵は、これからが本番でした。  「お前たちは、一等水兵になったのだから、 今後はそのように教育する。」と、以前に 倍した厳しい教育が行われるように なりました。  そして、少しでもヘマをすると、「お前たちは、 まだ一等兵の資格がない。」と叱責されました。 この練習兵制度が、二期、三期と続けられて いくか、または取りやめになるかは、第一期 練習兵の成績次第だということでした。  そのため、分隊長はじめ分隊士、教班長、 教員も情熱を集中しての教育が行われて いました。海軍当局が、練習兵にかける期待も 大きいということで、教育主任の尾崎中佐は、 練習兵の情操教育の面に力を注いでいました。  中佐の訓示には、「小我を捨てて、大我につけ。」 という言葉がしばし使われました。  一般志願兵や徴兵の人達は、夕食後は休息の 時間になっていましたが、練習兵は吊床降ろし までの時間を、復習や予習の時間に当てて いました。  また、時々夜間講義もあり、厖大な教課を こなしていかなければなりませんでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 何事も誠意を以って事に当たれ [巡洋艦大淀]

 梁の上から特訓をしていたのは、地理・ 歴史・英語を担当していた福島貞司 二等兵曹でした。  福島教員は、海兵団で新兵教育を受けて いたのが、二年前でした。海軍に10年近く いる人より、体験が生々しいと言えました。  福島教員は、当時の体験談を説いて、 小淵氏ら練習兵の指針としてくれていました。 それは、どれも、即座に小淵氏らの身近に 起こる問題でした。  短艇競漕に負けた時の話は、教班員が 全員冬の海の飛び込んで努力足りなかった ことを、教班長に詫びていました。競漕に 負けるとその日の1食を取る資格がない とされ、食事抜きの罰を受けるのが 当たり前でした。  しかし、その時、教班長は「競漕には負けたが、 お前たちは大威張りで食事してよろしい。」と 教員たちの心意気を褒めてくれたということ でした。  「何事も誠意を以って事に当たれ。」  海軍ではずるい考え等起こしても、それが 通用するところではないと、戒めた言葉でした。 やがて、小淵氏らは、海兵団の教育にも次第に 慣れ、故郷のことなどあまり想い出さなくなって いきました。  みんな、同年齢の少年なので、いつしか心も とけあい、兄弟以上の親しい間柄になって いきました。特に、同教班の者は、悲しみも 歓びも分かち合って、お互いに励まし合い ながら、やるようになっていました。  残暑が終わり、秋も過ぎて、木枯らしが身に しみる12月10日。今までカラスと呼ばれていた 小淵氏たち新兵も、右腕に錨が一つあるマークが つけられることになりました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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