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巡洋艦大淀 軍事教練仕上がり [巡洋艦大淀]

 庄司分隊長は、火災訓練の笑い話をはじめ ました。  「ある時、艦務実習で、今日のような訓練が あった。火災と書いた旗を見つけた者が届けに 行くと、そのあとから来た者がよほど頭の 涼しい兵隊さんとみえて、その旗をとると くるくると丸めて、そばにあった防火用水に 投げ込んでしまった。  みんなが消火用具を持って駆けつけたが、 火災の旗がないのでまごまごしていると、 その兵隊さん、消火用水を指差して、 火災鎮火といっていた。」と言って、 小淵氏らを大笑いさせていました。  艦務実習は、厠を除けば、興味深いもの でした。各教班長も、それぞれ専門分野の ことなので、みんなを笑わせながらの 楽しい実習でした。  海兵団教育も終盤になると、短艇の 帆走なども行われました。初夏の風を 一杯に受けて快走する帆走は、男らしい 爽快なものでした。  通船なども自由に漕げるようになって いました。手旗も上達し、お互いに読み こなせるようになりました。  軍事教練の方は、いよいよ仕上がり でした。しかし、普通学の教課はかなり 残っていました。  普通学が急ピッチで進められていた 7月初旬に、第二期が見学に来ました。 第二期の練習兵は7月1日付の 入団でした。  それまで、小淵氏ら第一期兵の成績 いかんであると、叱責されたり励まされたり しながら、頑張っていました。後輩が 入団したことで、一期兵は、俄然 張り切りました。  あとに続くも者があるということは絶大な 歓びであり、男子としての生きがいでも ありました。講義を受けている講堂の 左右と後方に、坊主頭が一杯に 並んで押し合っていました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 火災訓練 [巡洋艦大淀]

 春日での艦務実習は、3泊4日続けられ、 種々の訓練を受けましたが、いずれも、 陸上の海兵団では知ることのできない 貴重なものでした。  今まで、艦船勤務の長かった教班長たちは、 この実習では、水を得た魚のように生き生きと していました。庄司分隊士は、数多くの教訓を 示してくれました。  艦内火災の時、“火災”と染め抜いた旗を どこかに出すことになっていましたが、その旗が、 いつどこに出されるかは知らされていません でした。それを見つけた者が、当直教班長に 届けると、直ちに「火災発生、どこそこ。」と 通達されました。  その時、「待て、しばし。」のラッパが鳴りました。 このラッパで、次の動作に何をすべきかを十分に 考え、慌てずに次の行動に移る用意を整える というもので、その後に「かかれ。」の号令が あるまで動いてはいけないことになっていました。  火災現場に分隊員がそれぞれの消火用具を 持って駆けつけると、そこには時計を睨みながら 長身の庄司分隊士が]突っ立っていました。  そして、「なかなかよろしい。それに消火用具も それぞれに考えたとみえて、これだけあれば火災も すぐに消せるだろう。」と、みんなが持っていた物を ひとあたり見渡して、満足そうに言いまし  そして、「火災訓練は、早期発見と初期消火が 一番大事だ。それぞれが協力し合わなければ いけない。火災だと言って、みんなが全部 消火栓にとびついたり、ホースを取り合って いたのでは、混乱して十分な消化はできない。  そのことをよく覚えておくように・・・」と言って から、火災訓練について笑い話をはじめました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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