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巡洋艦大淀 猛烈な制裁 [巡洋艦大淀]

 小淵氏が、海岸のゴミ捨て場で用足を していたのは、11分隊の厠が壊れていた ためでした。  しかし、隣の12分隊の厠は大混雑と なりました。そして、小淵氏と同じように 行動してつかまり、外出禁止の罰を 受けていました。そして、外出したあとの 居住区に残って掃除や備品の手入れなど、 きつい作業をさせられていました。  しばらくして、分隊員全員に起床が 命じられて吊床はそのままにして、 教卓の両側に並ばされました。理由は、 明朝朝から行われる野外演習用の弁当を 食ったものがいるということでした。  その日は、教班長も全員外出を取りやめ、 野外演習に備えていたので、取り調べの ため、全員そろっていました。当直教班長は、 「食ったものは、正直に名乗り出ろ。」と 怒鳴りました。  すると、3人が前にでました。「食った ものはこれだけか。」と言ってきましたが、 後はいませんでした。そして、「不心得者は どうなるかみんな見ておけ。」と言い、 精神棒で5回づつ尻を叩かれました。  そして、「もういないか。正直に出てこい。 今のうちだぞ。」「調べればわかる。」さらに、 実際に弁当を確認するという、3段階の取り 調べが行われ、だんだん制裁がひどく なりました。  最後に捕まった人達は、小淵氏が、 これほど猛烈な制裁はなかったと 言うほどひどいものでした。この日の夜、 冷え切った身を吊床の中に横たえたのは、 真夜中を過ぎた頃でした。  このように厳しく教育され、鍛えられた 練習兵は、根性も備わり、意地も強く なりました。そして、日毎に精悍な 兵へと育っていきました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 ゆとりによる失敗 [巡洋艦大淀]

 日が延び始める頃には団内生活にも すっかり慣れ、精神的にゆとりを持てる ようになってきましたが、このような時、 失敗もしました。  海岸のゴミ捨場で小用を足していた 小淵氏は、兵舎の隅にある衛兵の 控室から呼び止められました。そ して、「分隊教班官職氏名を名乗れ。」と、 威丈高な言葉が返ってきました。  小渕氏は只事ではないと感じたものの、 なぜ怒られているのか分かりませんでした。 海岸での用足は、衛兵や下士官もしている ことなので、余計分からなくなりました。  すると、「この頃臭いと思ったら、お前の 仕業か。」と言ってきました。そして、教班長の 顔をおがみたいと、言い出しました。  とんでもないことをしたと感じた小淵氏は、 頭を下げ、教班長の名前は明かしません でした。  それでも、教班長の名前を言えと執拗に 喰ってかかってきました。しまいには往復 ビンタを喰らいましたが、黙っていました。  すると手のひらを返し、「教班長は立派な 方なのだろう。何という名前なのかね。」と 丁寧に喰い下がってきました。  名前を教えるまで、帰してくれそうになく、 間もなく午後の授業が始まる時刻になります。 仕方なく教えると、帽子をとられ、「教班長が 来たら、お返ししましょう。」と言ってきました。  小淵氏は、戻って教班長に事の顛末を 話しました。教班長は、一瞬厳しい顔つきを しましたが、何も言わず、帽子を取り戻して きました。  そして、「今後は気をつけろよ。」と言った だけで、制裁はされませんでした。小淵氏が、 何も制裁されなかったのは、運が良かったと 言えます。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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