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山口多聞 だまし討ち [山口多聞]

 攻撃開始時刻は、午前3時半となって
いました。

 それまでに、ワシントンにいる野村吉三郎
全権大使、来栖三郎大使が、コーデル・ハル
国務長官に、「対米通牒」を手渡している
はずでした。

 山本長官は、アメリカから卑怯者とか、
だまし討ちと呼ばれないよう、そことだけは
政府に念を押していました。しかし、諸々の
事情で、手渡されたのは、奇襲後となり、
だまし討ちになりました。

 黎明の空に、大編隊は吸い込まれるように
消えていきました。あたりに不気味な静寂が
広がりました。

 乗員は、帽子を振る手を止め、じっと遠くの
空を見つめました。そこに柳本艦長から、
「ぼやぼやするな。発艦準備」という指示が
飛んできました。

 甲板の上でほうけていた乗員が、我に
帰りました。1時間後には、第二次攻撃隊が
出撃することになっていました。艦内は、再び
騒然となりました。

(追記)
 開戦のきっかけとなったハルノートは、
受け入れても日本に実害はあまりないので、
攻撃を中止して、受け入れた方が得策でした。

 これとは別に、奇襲攻撃後に対米通牒が
渡されたのは、前日に飲み会をしていたため
出勤が遅れ、タイプが間に合わず、ミスを隠す
ため、政府からの手渡し時刻を勝手に1時間
遅らせたという話が伝わっています。

 これが本当ならとんでもない話ですが、
日米開戦が秒読みに入っていた時期に、
エリートともいえる外交官が、このような
失態をするというのは考えにくく、個人的には
わざと遅らせたのではないかという疑いを
持っています。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 オアフ島を目指して [山口多聞]

 海はまだ暗いものの、空は明るくなっており、
空に零戦が舞い、編隊を作っていきました。
艦橋の前や甲板端のポケットで乗員が
千切れるほどに帽子を振っていました。

 零戦に続き、800キロ徹甲爆弾と魚雷を
抱えた艦上攻撃機が飛行甲板一杯に
使って、滑走しました。

 800キロ徹甲爆弾の長さは2.87m、
魚雷は5.47mあり、車輪のついた台車でも、
数人がかりでなければ動きませんでした。

 艦上攻撃機は、10.3m、零戦の9,12mより
長いものの、魚雷は半分ほどの大きさとなります。
腹に吊り下げている姿は、見るからに重たそうで、
護衛の零戦がいないところで、敵機に襲われたら
ひとたまりもありませんでした。

 爆弾や魚雷には、整備員が、「祝謝肉祭」とか、
「贈ルーズベルト」などと落書きをしたものも
ありました。これは、どこの国でも見られる
悪戯でした。アメリカ軍も、日本に投下する
爆弾に同様のことをしていました。

 山口少将は、「帰ってこいよ。」と心から祈り、
屋上にあたる上空直衛指揮所に上がって
いきました。

 旗艦、赤城他、5隻の空母から飛び立った
機体が、空を埋めていきました。薄暗い空には、
オルジス灯の光、空母では青と赤の航空灯が
点滅しました。

 6隻の空母から発艦した183機の大編隊と
なって、機動部隊上空を旋回しました。空母の
甲板では、乗員が帽子を振って、声を張り
上げていました。大編隊は、一路南へ
向かって行きました。

 目標のオアフ島までは、425kmほどで、
零戦が全力で飛べば1時間もかからない
距離でした。しかし、艦上攻撃機に
合わせるので、着くのは午前3時過ぎの
予定でした。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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