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山口多聞 空母への着艦 [山口多聞]

 蒼龍の甲板に、第一次攻撃隊と第二次
攻撃隊が着艦してきました。艦上攻撃機に
続いて、零戦が誘導コースに入りました。

 前方から一定の距離を保ちながら、単縦陣で
飛来してきた零戦隊は、空母の左舷を、轟音を
残して通り過ぎていきました。

 山口少将は、二機足りないことに不安に
なりました。幕僚は、「足りない二機は、飯田
隊長と二番機なので、被弾した僚機を励まし、
誘導しているのでしょう。きっと帰ってきます。」
と言っていましたが、張りはありませんでした。

 山口少将は、気が気でなく、下部艦橋甲板の
発着艦指揮所の上に立ち、首を伸ばしていま
した。空母を通り過ぎた零戦隊は、空母の後ろ
1kmのところにつけている駆逐艦の上空で
左旋回し、蒼龍を後ろから追いかけて
来ました。

 艦上機は、浮力を増すため、主翼について
いるフラップをフルダウンしました。スロットル
レバーを絞り、速度を約140kmまで落とし
ました。速度は落としすぎれば、失速して
海面に落ちてしまうため、細心の神経を
配りました。

 着艦のために、空母の後部甲板には、
着艦標識や、指導灯、照明灯などがあり
ました。これらの灯により、夜間も着艦
できました。

 着艦態勢に入った機体は、艦尾標識の
上を5mの高さで通過し、制動索直前で
機首を上げました。

 主輪と尾輪が同時につくように3点の
姿勢になり、飛行甲板に着艦しました。
フックが、甲板の上に等間隔に張られた
ワイヤーに引っかかりました。

 ゴールインしたライナーを強力なテープで
受けとめるように、ワイヤーが艦上機の速度を
殺しました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 真珠湾攻撃メンバーの悲劇 [山口多聞]

 飛龍隊の西開地一飛曹の零戦で、エンジン
不調がありました(西開地重徳兵曹の悲劇は、
”軽巡洋艦名取短艇隊 真珠湾攻撃での
秘話”で紹介したことがありますが、再度
紹介します)。

 西開地一飛曹が搭乗した零戦が、集合
地点になっていた西端のカエナ岬へ
飛びましたが、すでに日本軍機は
いませんでした。

 このため、カウアイ島の西側にあるニイハウ島に
不時着しました。ニイハウ島は、非常事態が発生
した時の、不時着地点に指定されており、翌日に
潜水艦が迎えに来ることになっていました。

 西開地一飛曹は、現地にいる日系二世の
ハラダヨシオ氏に匿われましたが、1週間目の
12月13日に、興奮して我を忘れた島民に
追い詰められ、2人は自決しました(島民に
殺されたとも伝えられています)。

 ハラダ氏の奥さんが、海兵隊に逮捕され、
オアフ島のホノルル港内にあるサンドアンランド
収容所に身柄を移されました。この収容所には、
危険視された日系人の他に、日本人捕虜
第一号の酒巻和男氏も収監されていました。

 酒巻氏は、5隻の特殊潜航艇による真珠湾
攻撃のメンバーでした。航空機による攻撃が
始まる前の午前2時45分に、アメリカ軍の
駆逐艦が、国籍不明の潜水艦を撃沈した
としています。これが、日米開戦の火ぶた
でした。

 この報告が、太平洋艦隊の司令部に
届くまでに時間がかり、キンメル大将に
届いたのは、奇襲直前の7時40分でした。

 酒巻氏以外の9人の特殊潜航艇メンバーは
全員戦死し、二階級特進で、軍神に祭り上げ
られました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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