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山口多聞 ウェーク島攻略 [山口多聞]

 ウェーク島は、ハワイ諸島とほぼ同じ
緯度にあり、ハワイ諸島から、マリアナ
諸島にいたる途中の東経167度に
位置する面積6.5平方kmの環礁
でした。

 この方面の作戦は、井上成美中将が
率いる第四艦隊が担っていました。
航空機の攻撃で、駆逐艦如月が
上甲板に積んであった爆雷の
誘爆により沈没していました。

 この時、機動部隊は日付変更線を超えて、
東経170度付近を航海していました。
12月16日、第二航空隊は機動部隊から
離れ、南下しました。

 12月21日から、3日間にわたり、艦上攻撃機、
艦上爆撃機、艦上戦闘機を繰り出し、猛攻撃を
行いました。アメリカ軍は、誇りとしていたワイルド
キャットで応戦しましたが、零戦の方が上回って
いました。

 22日、蒼龍の下士官2人が乗った艦上爆撃機
1機が、なかなか帰還しませんでした。蒼龍は、
目印の黒煙をあげました。夜になり、母艦を
見失った艦上爆撃機から、「戦死なりや?」と
いう電文が届きました。

 電文を見た山口少将は、柳本艦長に誘導電波を
出させ、探照灯で上空を照らしました。日没後から、
二時間半後、闇の中から、艦上爆撃機が現れましたが、
燃料切れで着艦できず、海面に不時着し、駆逐艦に
救助されました。

 山口少将は、帰還した搭乗員に、「戦死なりや?」
とはどういう意味かと訊ねると、「事故死扱いになると
心配でした。戦死でないと、靖国神社には行けないと
聞いていたので」ということでした。

 山口少将は、「そんな・・・ことはない。みんな靖国で
会える」と途中で声が詰まり、目頭が熱くなりました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 ミッドウェー空爆のとりやめ [山口多聞]

 ミッドウェー攻撃の命令が出ないことに、
山口少将は、いらだっていました。

 山口少将は、「ミッドウェー攻撃を敢行
すべきである」と意見具申しましたが、
応答がありませんでした。これで、
山口少将の癇癪玉が破裂しました。

 山口少将は、「艦上攻撃機か艦上爆撃機を
準備させろ。かくなるうえは、赤城に乗りこんで、
説得してやる。」と言い放ちました。本気で赤城に
飛び移ろうと考えていたようでした。

 しかし、波が激しく、強風が吹き荒れて
いました。蒼龍を発艦しても、赤城に着艦
できる保証はありませんでした。

 そうこうしている内に、機動部隊司令部は、
連合艦隊司令部に、天候不良、補給不能を
理由にミッドウェー空爆をとりやめると
打電しました。

 12月15日午前2時、連合艦隊司令部より、
ウェーク島攻略の支援に回るように指令が
ありました。兵力は適宜とあることから、
南雲長官は、たびたび意見具申する
山口少将が適任だろうと判断しました
(やっかいばらいしたともとれます)。

 ウェーク島は、第二航空戦隊の蒼龍と飛龍、
第八戦隊(巡洋艦利根と筑摩)、駆逐艦2隻
(谷風、浦風)が担うことになりました。

(追記)
 南方作戦は、ハワイ空襲の開始とともに、
展開していました。ウェーク島への攻撃も、
12月8日朝から始まっていました。

 しかし、予想以上に敵航空機の反撃が
強く、苦戦していました。それは、空母
エンタープライズが、グラマンF4F
ワイルドキャットを運んでいたから
でした。

 ハワイに空母がいなかった理由の一つが
これでした。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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