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山口多聞 アメリカの国力 [山口多聞]

 1935年10月、在英日本大使館附武官を
務めていた、山口少将と同期で主席の
岡新大佐が、イギリスからの帰りに山口
少将のところに立ち寄ってきました。

 山口少将は、アメリカに来た同期に対し、
案内する旨を伝えました。これに対し、
岡大佐は、アメリカは大体回っているので、
経済発展著しいカナダを見てみたいという
希望を出してきました。

 山口少将は、ナイアガラに案内することに
しました。10月10日早朝、2人は慌しく車に
乗り込み、ドライブを楽しみながら、その日の
夕刻には、カナダとの国境のナイアガラに
たどり着いています。

 2人は、カナダに通じる橋を渡り、テラスの
ような展望台から、大瀑布の雄大な光景を
見やりました。

 翌日、山口少将は、妻の孝子氏に当てた
ポストカードに、カナダのオタワに車で
向かったこと、一日740kmも走ったことを
記しています。

 山口少将は、アメリカの広さと、急速に
発展しているモータリゼーション社会を
実感すると同時に、基盤整備、工業
生産力、高速交通網、どれをとっても
日本がかなうものはないと思われました。

 大恐慌も、ニューディール政策で持ち
直しており、倒れてもすぐに回復する底力が
ありました。

 一方で、矛盾もはらんでいました。極端な
貧富の差、黒人や黄色人種に対する差別。
日本人排斥運動の陰にある根強い人種
差別がありました。

 山口少将は、一介の日本人としてレストランに
入った時に、東洋人を蔑視する冷たい視線を
感じました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 交渉決裂 [山口多聞]

 山口少将は、山本長官に、「ロンドンでの
小千谷談判がうまくいきますように、後武運を
お祈りします。」と声援を送っています。

 山本長官率いる全権団は、ロンドンに向かい
ました。しかし、ロンドンでの予備交渉は不調に
終わりました。

 アメリカの全権は、満期を迎えるワシントン・
ロンドン軍縮条約を、再度同じ条件で延長
しようと主張し、日本側は、主権対等の原則
から、保有兵力量の共通最大限を定めた上で、
各国の現況に照らした保有量を決めるように
提案しました。

 イギリス全権は、妥協案を提示しましたが、
日米間の溝は深いままでした。アメリカ側は、
満州事変、上海事変、満州国建国を通して、
日本に対する不信感を募らせており、
予備交渉でも高圧的でした。

 12月19日に休会となり、10日後、
日本政府は、ワシントン条約廃棄を
アメリカ政府に通告しました。


 この頃、ワシントンに赴任した山口少将は、
武官補佐官や駐在員に司令を出し、アメリカ
海軍に関した最新の資料を集めさせました。

 情報活動には、アメリカ人のスパイも利用
しました。事務所には、資料が山積みされて
いました。

 1932年、アメリカ海軍は、ヤーネル提督
率いる航空母艦部隊が、真珠湾を奇襲する
という大演習を行いました。その結果、理論的
には、陸上基地の飛行機や湾内に停泊している
艦船のほとんどを撃沈できることが分かりました。

 この資料が日本に渡り、山本長官や参謀に、
ハワイ奇襲作戦の自信を与える材料となりました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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