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山口多聞 カフク岬に到達 [山口多聞]

 淵田中佐率いる第一次攻撃隊は、高度は
3000mで飛んでいました。敵が、さらに
高高度を飛び、上空から襲ってくれば、
味方は壊滅状態になります。

 前方に島影が見えてきました。ホノルル
放送局は、相変わらず平和な音楽を流して
いました。カモフラージュでないとすれば、
真珠湾の米軍は、まだなにも知らない
ことを意味していました。

 この日、ハワイでは、7日の日曜日の朝に
なります。オアフ島の北端にあるカフク岬が
見えてきました。雲の下には、オアフ島の
山々の稜線と海岸線がくっきりと現れて
いました。

 搭乗員は、オアフ島の全景を精巧な
模型と航空地図で暗記しており、
東西南北どの方向から侵入しても、
迷うことはありませんでした。

 「右に変針し、西の海岸線沿いを進め。」と
淵田中佐は、伝声管で操縦士に命じました。
総指揮官機が翼を振りながら、右に旋回
すると、後続の編隊も次々とカフク岬を
目印に右に旋回し、海岸線沿いを南西に
飛んでいきました。

 ここまでくれば、下界の住民は、何事かと
見上げているころでした。日本の移民で
あれば、日の丸を見て、すぐに日本海軍の
攻撃機だと気づくはずでした。

 迎撃の戦闘機は、見当たりませんでした。
偵察機からの連絡はないものの、淵田中佐は、
奇襲でいけると判断し、信号拳銃の引き金を
引きました。信号弾が宙に舞い上がり、黒い
煙が流れました。

 航空時計は、午前3時10分(ホノルル時刻
午前7時40分)を、指していました。水平
爆撃隊と、急降下爆撃隊が、作戦通りに
展開をはじめました。しかし、制空戦闘機隊は、
信号に気づいていないようでした。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 第一次攻撃隊、敵機を警戒 [山口多聞]

 百戦錬磨の淵田中佐は、総指揮官だけに
搭載してある方向探知機(アメリカ製のクルシー
というのが皮肉です)のダイヤルをまわし、耳に
当てたレシーバーを通して、ホノルル放送局が
流している軽快なジャズを聴いていました。

 淵田中佐は、これは罠ではないかという
不安がよぎりました。さらに、淵田中佐の
後ろにいる電信員は、巡洋艦から飛び
立った偵察機の電波を待ち受けて
いましたが、連絡はありませんでした。
撃墜されたのかと、さらに不安が募り
ました。

 アメリカ軍は、オアフ島山頂に長距離索敵用の
対空レーダーを5台置いていました。しかし、
この時には、1台しか稼動していませんでした。
午前2時36分、その一台が、北220km先に
飛行機群を捕らえました。

 兵士が司令部に報告すると、「本土からやってくる
B17だ。」との説明を受けました。アメリカ軍は、
この日に限って、怠慢とミスを重ねていました。

 淵田中佐は、そろそろだと判断し、風防ガラスを
開け、顔を出してみました。冷気が、頬に当たり
ました。

 航空眼鏡で、雲海の切れ目から、彼方を見渡し
ました。南下してきた大編隊は、方向を間違えて
いなければ、カフク岬に突き当たるはずでした。

 そこから展開し、攻撃態勢をとることになって
いました。全機の搭乗員は目を凝らして、周囲を
見回しました。敵機が、待ち伏せしているとすれば、
いつ現れてもおかしくありませんでした。

 淵田中佐は、精神を集中させ、頭の中に酸素を
送り込むような気持ちで、深呼吸を繰り返しました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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