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山口多聞 第一次世界大戦終了 [山口多聞]

 樫が、山口少将が着任する前に誇った
武勇伝を紹介します。イギリス商船
バンクラスがUボートの魚雷により
大破し、僚艦の桃と乗員の救助に
当たりました。

 救助中でも、Uボートがいつ襲ってくるか
分からない状態での救助活動でした。実際、
前回紹介した、大損害を受けた榊の僚艦松は、
雷撃された輸送船に横付けして救助に当たって
いる時に、魚雷攻撃を受けています。

 樫と桃は攻撃を受けることはなく、乗組員
全員を退艦させると、引き続き曳航にも一役
買いました。この時の、勇気ある行動が称賛
されて、二艦はイギリス王国から感謝状を
授与されました。


 第二特務艦隊に参加した将兵は、イギリス
海軍の将兵と親しく交わりました。イギリス
海軍は、自国の駆逐艦ミストラルとメネシス、
トロール船2艦を特務艦として日本側に
貸与してくれました。

 任務遂行の間、ミストラルは、「栴檀(せんだん)」、
メネシスは「橄欖(かんらん:地中海原産のオリーブで、
樹木には平和の意味がある)」、特務艦はそれぞれ
東京、西京と命名されました。


 1918年11月11日、休戦協定が調印され、
4年3ヶ月に及んだ第一次世界大戦は終わり
ました。マルタ島に停泊していた特務艦隊も、
万歳の歓声に包まれました。しかし、特務艦隊は、
戦後の状況をみるため、マルタ島に滞在しました。

 山口少将は、12月1日付で大尉に昇進し、
帰国を命じられました。しかし、スエズ運河まで
来た時、ドイツから勝利品として接収した
Uボートを日本まで回航せよという命令を
受けました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 第二特務艦隊 [山口多聞]

 地中海へ派遣された第二特務艦隊は、
巡洋艦明石を旗艦に、第22駆逐隊と
第23駆逐隊が、欧州へ向かいました。

 そして、遅れて、第24駆逐隊が、6月1日に、
特務艦隊に編入され、地中海にたどり
着きました。第24駆逐隊が着く前後に、
旗艦が明石から出雲に変わり、明石は
帰投しています。

 第二特務艦隊は、マルタ島を母港に
任務につきました。マルタ島は、十字軍
時代から続く聖ヨハネ騎士団(マルタ
騎士団)の拠点でした。

 この時は、イギリス領になっていましたが、
堅固な城塞都市が残されており、中世の
雰囲気が色濃く漂っていました。戦争で
なければ、最高の観光地でした。

 特務艦隊の任務は、イギリス、フランス、
イタリアなどの船団を護衛することでした。
Uボートをいち早く発見し、捕捉後先制
攻撃する必要がありました。

 第二特務艦隊は、任務中36回の戦闘を
行い、11回は、至近からの攻撃を受けて
います。

 この中で、最も損害が大きかったのは、
駆逐艦榊(さかき)で、僚艦松と任務を
終えて、マルタ島へ帰る途中、Uボートと
遭遇しています。榊は、艦首に魚雷を受け
大破し、艦長以下59人の戦死者を出しました。

 1918年5月1日、山口少将は、第二特務艦隊の
司令官付を命じられ、7月5日に、駆逐艦樫(かし)の
航海長に任ぜられています。

 樫は、山口少将が着任する前に、武勇伝を
残していました。航海長として赴任した山口
少将は、樫の乗組員から状況を聞き、魚雷攻撃の
威力をまざまざと知りました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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