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山口多聞 ミッドウェー島攻撃命令 [山口多聞]

 12月9日、午前8時半、機動部隊は、
第一補給隊と合流し、北へ針路をとり
ました。第一補給隊は、早速警戒隊へ
補給を行いました。

 午後4時40分、連合艦隊司令部より、
機動部隊に対し、ミッドウェー島の空襲を
命じる電報が届きました。日付変更線を
南下すれば、基地を空爆できる位置に
いました。

 山口少将は、「この命令を実行すれば、
北太平洋の監視塔を潰せる。ハワイから
アリューシャンへの補給路線も立つことが
できる。」として、賛成でした。

 翌日早朝、旗艦赤城は、「ミッドウェーを
破壊攻撃する。」旨の発光信号を送って
きました。しかし、荒天を理由に攻撃
命令は出されませんでした。

 これは、荒天が理由ではなく、機動部隊
司令部の消極的な態度によるものでした。
草鹿参謀長は、この命令に、「帰りの駄賃に
ひと稼ぎという心が気に食わん。横綱を破った
関取に、帰りに大根を買わせに行かせる
ようなものだ。」としています。

(追記)
 草鹿参謀長が、上記の理由で連合艦隊
司令部の命令を拒否したなら、とんでもない
ことであり、南雲長官と同様、日本艦隊敗北の
原因の一人と言えます。

 草鹿参謀長は、以前紹介した、木村昌福中将と
兵学校同期で、木村中将からすれば、成績優秀で
同期の出世頭としていました。しかし、上記の
判断を見る限り、木村中将とは比べ物にならない
愚将といえます。

 戦争で戦果を重ねるように攻撃するは当然の
原則であり、行きがけの駄賃や、横綱に勝った
関取などと言う、戦争理論とは全く関係がない
事象で、好機を逃している時点で、参謀に
向いていないといえます。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 真珠湾攻撃の戦果と被害 [山口多聞]

 真珠湾攻撃による戦果は、戦艦4隻撃沈、
1隻大破、3隻中破をはじめ、巡洋艦、駆逐艦、
標的艦などを含めて、18隻に甚大な被害を
与えたとされています。

 しかし、戦艦8隻のうち6隻は、浮揚、
修理され、艦隊に復帰しています。完全に
喪失したのは、記念館として沈没したままの
姿で公開されているアリゾナと、復帰できずに、
戦後サンフランシスコに移送中に沈没した
オクラホマの2隻だけでした。

 
 航空機は、200機が破壊され、150機が
損傷しました。戦死者2402人、戦傷者2382人と
されています(文献により差があります)。ハワイ空襲の
模様は、赤城爆撃隊の布留川大尉により、発進から
真珠湾突入まで、16mmフィルムに収められました。

 これだけの博打を行ったにしては、戦果は
ほぼないといえ、戦略的意味はないと判断
される結果だといえます。

 日本側の被害は、第一次攻撃隊は、戦闘機3機、
艦上爆撃機1機、雷撃機5機、第二次攻撃隊は、
戦闘機6機、艦上爆撃機14機の29機でした。
戦死した乗員は55名でした。修理が必要な
機体は122機にのぼりました。

(追記)
 蒼龍の爆撃隊に所属していた2機が、それぞれ
巡洋艦と駆逐艦に激突して自爆しました。2機のうち
どちらかが、蒼龍の艦名をあげ、「われ、今より敵艦に
突入せんとす」と打電していました。

 電文を聞いた山口少将は、無線封鎖という命令を
破り、柳本艦長に、「謝す」と返電するように命じて
います。無線封鎖の命令より、大切なものがあると
感じたようでした。

 謝電は、散華する搭乗員へのせめてもの
餞でした。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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